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未発表原稿書きかけ中

 

 

患者を苦しめることにツナガル

セカンドゲンヤク

ハッタツダンヤク療法

批判

其の伍 『自己批判』

 INDEXに戻る

 

 みなさまへ、えばっちの自己批判を

を申し上げます。お届け致します。

間違っていました。

今、本当に悔やんでいます。

 

五点目

1994年から2013年まで

笠陽一郎と云う精神医に

まことにベンリな当事者として鉄砲玉として

リヨウされてきてシマッタ、無自覚なママに

そう想えてならない

 

 

六点目

若干でも当事者性のアルトコロを批判するのに

笠陽一郎と云う精神医の権威と権力を

リヨウしてシマッタことはなかったか、無自覚なママに

ジブンの胸に聞くしかない

 

 

一点目

笠陽一郎医師の嘘を

支持してシマッタ

 

二点目

笠陽一郎医師との

これほどの、意見の相違を、

外に、知られるのを

避けようとしてマッタ

 

三点目

家族会を認めてシマッタ

 

四点目

シマダカズコなるライターの人物を

見誤ってシマッタ

 

 

 

笠陽一郎医師、アナタ、なにを今更、ナニを言って居るんだ

嘘の上に、さらに、こんな、大事な、

患者の生命に関わることを隠していたと、いうのか、サイテーだ。

アナタセキニンを取るべきだ、医者として

こんなことが、今になって分かったことだというのか

セカンド始めて十年経ったから、初めて分かったことなのか

こんな大事なことを、イマなのか・・・・・・・・

アンナふうに、コラムに、替え歌と一緒に出すようなコトなのか

アナタの嘘に希望を抱いて、ゲンヤクに取り組んだ、取り組もうとしている

患者と母親に、コンな事を今まで、黙っていたというのか

 

ゲンヤクがヂゴクだと、ヤッと認めたな、そうなんだ、地獄ナンダヨ

そしてその地獄の後でも、退行から戻らない、、、とは、、、、

アナタ、患者のことなんか、ホントは、ナントも思ってないだろう。

これ、ドウイウ意味なのか、わかって言っているのか

わしらキチガイのジンセイは、どうなるんだ

アナタ、本当にサイテーだ。

ドウするんだ、セキニンとんなさいよ。

 

嘘言ッタンダヨ

えばっちは、その嘘を支持してシマッタ

何年セカンドヤリマシタか

八年だ

前史もあるから、八年から十年としましょう

その間に何人セカンドしたんですか

一万人から一万二千人だ

だとしたら、そのうち何人がクスリゼロになったんですか

千人から二千人だ、二千は越えない

絶句した

そしてコウ言った

りゅうさん、大多数がクスリゼロになるかのように言っていませんでしたか

そう言うた、ワシはそう言うたよ

それ嘘に為るんじゃないですか

だって、えばっち、だって、敵がいるじゃろ

それ聞いて、呆然として、これは、もうダメだと、悟った

携帯電話にぎっている手が震えたよ

おれ、なんてことに、手をかしてしもうたのかと、ね。

とりかえしがつかないことになった、と、想ったよ。

アナタね、嘘言ってセカンドゲンヤクハッタツダンヤク療法を拡めタンダヨ

それ信じて、取り組んで、

一体何人が、

ゲンヤク途上で再入院したり、

死んだりシタンダ

しかも、こんな大事なことをイマの今までダンマリか、オイ

患者をどう考えてイルンダ

 

笠陽一郎医師、アナタ、やっとやっとのことで、タイヘンなことに為ることも、

ハッキリと

出すようになってきたナ

オソスギル、オソスギルんだよ

もっと、もっと、チャントやってくれ

今さら、こんなカンジで言われても、オソイよ、ひどい。

 

しかも、

うまくいった要因は、本人の頑張りに尽きる、親子夫婦の頑張りに尽きる

って、アナタ、なんてことを、言っているんだ

じゃあ、うまくいかなかったのは、本人が、頑張らなかったからナノカ、、、、

親子、夫婦、ともに、頑張りが、足りなかったからナノカ、、、、

本人のせいで、ゲンヤクが、うまくいかなかったのか、ソウナノカ、、、、

笠医師、アナタ、なんてこと、言うのだ、言ってシマッタのだ

じゃあ、八千人以上のゲンヤクに取り組んだ

クスリゼロにならなかった患者さんたちは

頑張りが、足りなかった、とでも、そう言うのか、笠陽一郎医師よ

アナタ、患者の人生を、どう、想っているのか

ムチヤクチャやぞ、ナニを言っているんだ

 

しかも、さらに、しかも、だ、

ゲンヤク地獄の果てに、退行から戻らないこともアリマス、だと、、、、絶句だ

何故今まで、それを黙っていたんだ

エビリファイは使いたいが・・・ダト、クスリゼロではなかったんだ、

エビリファイ入れなきゃナンナインだ、

何故に、それをもっと、早く言わないのか、もっと徹底的に言わないのか

たとえそれが、ものすごく少ない患者さんダツタとしても、

もっともっと、言うべきだった

もっともっと、徹底的に言うべきだった

そういう患者さんは、実は、多いのではないか、と、そう想う

しかも、さらに、しかも、だ、もしもしもし、もし、だ、

エビリファイ、合わなかったら、ドウスルンダ

どちらかと言えば、エビリファイ合うことのほうが、少ない気が、、、

ドウスルンダ、いったい、ドウスルンダ

 

さらに、しかも、しかも、だ、

数年では戻らないようだ、、、、ダト、、、、、

数年ドコロか数十年だったら、ドウするのか

ゲンヤク地獄の果てに親子心中だと、、、、、

親子心中って、って、イッタイナニを言ってイルンダ

言われたもの身にもナッテミロ

「アンタを殺してワタシも死のうと何度想ったかシレん」と、

本当に言われた者のキモチが分かるのか

イッタイイツタイ、ナニをイッテイルンダ

アナタふざけるんじゃない、

患者の人生を弄んでいるのか、もてあそんでいるのか

うちとこのなかまが、あの独語臥床を読んで、いみじくもこう言ったよ。

こんなんだったら、ゲンヤクに取り組まないほうがマシだという、

キーサンの叫びが出てきますよ。

もうここまで来たら、悪辣な医者が自分の理論を護りたいだけの、

そんな醜い姿ですよ、と、

そう、恒例のなぎさ公園レクのさなかに

曇天の下の琵琶湖見ながら言ってたよ。

アナタの嘘、信じて、希望を持ってとりくんでみたら、

コンナコトを今更言うのか

遅すぎるよ、遅すぎるンダヨ、本当に、ドウスルンダ

もっと早くに、もっと徹底的に言うべきダッタンダ

再入院も多い、ゼロになるのは十人に一人か二人、

ゲンヤクは地獄だ、、、、、

そして、ゼロのその後にまた、クスリ飲み始めたヒトは、

どのくらいになるのか、分かっているのか

そして、うまくいくかいかないかは、本人の頑張りに尽きる、、、、

トハ、、、、、ナントイウことナンダ、、、

ムチャクチャやないか

 

ゲンヤク成功体験のママさん達がやるセカンドゲンヤクハッタツハウスは、

はっきりいって、精神科の新しい拷問を生み出すだろう。

強制減薬という拷問である。

「本人の頑張りに尽きる」と云うことであるならば、

これは、モハヤ拷問への第二歩である。

第一歩は、本人の意向よりも、母親の意向優先、と云う、ことである。

 

本人の了解を取れと、くどいほど、言ってきた

強制拷問に為ってしまうからだよ

我々は、

強制大量投薬で殺されてきた、

強制電パチで殺されてきた、

強制五点張りで殺されてきた、

強制入院で、強制退院で殺されてきたんだ

強制社会復帰、強制就労で、強制復学で殺されてきた、

今度は、

強制減薬でも殺されるのか。

強制断薬でも、殺されるのか。

三流のホラー映画のセカイだ。

アナタ、オソロシく無責任な

積極治療主義的な実に危険ですらアル新しい治療法を

積極的に拡めて、

良いことばかり宣伝してきたンダネ。

セカンドゲンヤクハツタツダンヤクと云う療法を

ある種新しいジッケン的治療法をウンドーとして宣伝してきたんだよ

セカンドゲンヤクハツタツダンヤク療法の先に、、、、、、

今更、地獄のような減薬の先に退行が、、、、、、戻らないダノ、

ダメージが数年では戻らないダノ、、、、、、、

いったい、ナニを、この期に及んで、

ヤットヤット、ソンなソンナ大事なことを、

替え歌の鼻歌交じりに、

アナタのコラムのタイトルが変わります、笑ってくれ、

ナンゾと、一緒に並べて、言うことか、これが・・・・・

ダメだこれでは

コンナ書き方もダメだ

 

だから、おれとの対談をシテオクベキダッタんだよ

対談したら、おれ聞いただろうから、、

アナタそれに、誠心誠意、答えて、、、一見不利と見えることも

少数例ダロウが何だろうが、ソレら、みんな出して

文章にして、出して

ソレを、いろんなところに、大量にばら撒かなきゃ、イケナカッタんだよ

今からでも、遅くない、それをやらないと、ダメだ。

やらなきゃ、ダメだ

今さら、こんなことを、コンなノリで書いていたら

もう、ダメだ、ナントいう事なんだ、、、

おれは、悪夢を見ているのか、、、夢なら覚めてほしい、、、

対談、やらなきゃダメダ、

今さら、コンナことを

こんなノリで、コンナふうに書くナンテ・・・・・ドウカシテイル

ドウカシテイルぞ

ゲンヤク地獄の果てに親子心中って、、、、アナタナニを言っているんだ

最後の毒語臥床、アレは、ひどすぎる。

本当にヒドイい。

アンな書き方は、ひどすぎる

 

クスリの入れ方で

クスリの減し方で、

患者の性格なんか、ドウとでも、変えられるんだ、ナンて事

よく言うよ

ワシらキチガイは、精神医のやり方で、性格や人格までも

自由に、サセラレルンかいな、

アナタ、本当に

精神病患者に、酷い事を言っているのが、分からないのカネ

 

若い方が、うまくいくようだ、などと、今頃いうことなのか。

ドウイウことなんダ

若くて、数年しか飲んでないので、わりとスンナリ、解放されている、とは。

だったら、二十年、三十年以上、と、飲まされて、

中年高年のななかまたちは、

ドウしたらいいのか。

早く死んでクレってか。

とにかく、黙っていてくれってか、、、、、

 

ナンカの抗体の血液検査で、サモ、ハッタツ障害が、分かるなんて、

一体、何を

カンガエテイルンダ

それ、どう、利用されるか、、、知れたもんじゃナイゾ

片岡のアンポンタンバカ坊、法務省の矯正局に呼ばれて口演ダゾ

そんな状況なのに

アナタいつから、生物学的精神医療推進派になったんだ。

脳に傷がアルたら、遺伝子見つけた、タラ、と本質的には

一緒や。

アレルギー検査でハッタツかとうか、分かる、って、言うんダカラ

本当に、こんな血液検査、拡まっていったら、、ドウナルコトカ、、、

しかも、キーヤンとは、、、、、

キーヤンと、揶揄するとは、、、、信じラレン、、、

アナタ、キチガイを舐めているのか

キーサンという「生命の底で居直る」コトバを

生み出したのは、ごかい、ではないのか。

キーヤン、って、どういう意味だ、答えてみろ、笠陽一郎医師。

答えてくれよ、笠陽一郎大先生。

 

想像を絶する無責任新治療法ジッケン精神医だよ、アナタは

そのアナタに、二十年も鉄砲玉当事者として使われてきたのか、

このおれは、、、、、ナサケナい、ナサケなさ過ぎて、涙が、出る、

やりきれない。

本当にやりきれない。

ナサケナイ、本当に。

自己批判なんてもんじゃないよ

自己批判なんて、生やさしいモノではない

少なくとも九十四年から二〇十三年までは、おれは、

アナタという、トンデモ精神医にリヨウされてきたのではないか、

しかも、鉄砲玉としてね、ナントいうことだ、

そういう、ナサケナい悔恨だよ。本当に。

あぁぁぁーーなんということだ

 

間違ってシマッタ

本当にそう想う

希望をみようとしたのが、マチガイだったのだ

希望ナンゾなかったのに、希望をみようとしたのが

マチガイだったのだ

積極治療主義的な事も

社会復帰的な事も

家族会的な事も

健病者的な事も

就中、差別的な事も

ワカッテはいたのだ

それら、すべて、譲ってでも、希望をみようとした、

えばっちが、マチガッテいたのだ

 

 

えばっとの自己批判の五点目は、

笠陽一郎という医者に、

えばっちというモノを言う、そして過激な行動を取る精神病当事者が、

20年間に渡って、利用されてきたと云うことです。

そのことを、20年間、えばっち自身が気がつかなかったということです。

モノを言う当事者は医療従事者や専門職に利用されるぞと

警告を発しながら、

オノレ自身がマンマと利用され続けてきたことに、

気がつかなかったということです。

付け加えれば、今気がついたといっても、

自分自身で気がついたわけではないということです。

四方ちゃんという編集者と、

それなりに外から見ていた、良心的で、一切ドンなウンドーにも拘わらないぞ、自分自身の診察室ノミ穴掘りダケをしていくんやというような、

それはそれで、「見識」としては、立派な、

だけども、やっぱり、

カマトトしてきたような、批判もしたいような、

ソンナトコロからの

良心的、医療福祉従業者からの指摘を受けなければ、

恐らくは、自分では気がつかなかったということなのです。

そう、自分では、気づケナカッタと云うことなんですよ。

ナサケナイハナシなんです。えばっちの、悔やみ節なわけです。

笠陽一郎という医者と、おそらくは広瀬というワーカーは、

とても専門職として『ラク』だったはずです。

えばっちというモノを言う、

そして、過激な行動を取る精神病当事者を、

プシ共闘が全国精神病者集団を利用してきたよりも、

もっと根底的に、

もっとベンリに利用してきたというわけなのです。

 

そしてまた、自己批判の六点目は、

前進友の会、

なかんずく、えばっちを軸にやってきた、病者集団や全精連という、

いかばかりか当事者性を持つところを批判するときに、

笠陽一郎という、『精神医の権威』を利用したところは、

なかったのかという、

実に苦しい自己批判と自己反省なのです。

つまるところ、

えばっちの自己批判の五点目と六点目は

笠陽一郎と云う精神医に、もの言う過激な行動を取る、

えばっちが、利用されし尽くされてきたというところと、

えばっちが、

当事者性看板型制度政策提言型翼賛運動ボスを批判するときに、

笠陽一郎と云う精神医の権威を利用したか否かという

実に苦しい、

ここ二〇年間の振り返りなのです。

そしてそれは、

えばっちと、笠医師の、この二〇年間が、

イツタイナンダッタノカ、と云う、繰り言、ともいえる、

歴史と向き合うことになるかもしれないのです。

 

えばっちは、

笠という医者に

消費されつくされた

のかもしれない

ナサケナいハナシである

今後精神病患者会をやる

みなさんに言いたい

一緒に闘いたいナンテ言っている精神医には、気を付けろ、と。

 

「正しいコト」と「本当のトコ」が、

一致していたら、

どんなに、ヨカッタでしょう。

「正しいコト」と「本当のトコ」という、

両面がアルのです。

そして、

「正しいコト」と「本当のトコ」が、これだけ、

遊離していると、

というか、対立し始めると・・・・・

「本当のトコ」もアルのでは・・・・

「本当のコト」も言わなければならないのでは・・・

「本当のトコ」を無視して「正しいコト」だけを、

正しいからということで、主張していると、

それは、

ウンドーになり、

嘘に、なっ ちゃうんですよ。

そして、今や、本当のトコロを言い始めても、

それは、モハヤ遅すぎた、と云うことになるのです

 

依存ですよ

キーワードは依存と自立だったんですよ

生命の底で居直る、と云う、コトダツタノデス

申請神聖新制ハツタツ臨床薬学博士無責任人形抱っこ専門職

法務省矯正局運動ボス片岡聡博士の、

あの、ヒトを馬鹿にシクサッタ

依存したいしたいしたい

という

依存してエラクなりたいのだ、と、

そのためのサポートチームが欲しい、という、

生きるための依存ではない

精神ビヨウインから出たカッタ、町で暮らしてミタカツタ

と云う、そういうことではなく、

それどころか、生きるためのサポートを削ってでも、

エラクなるためのサポートチームに依存とは・・・・

あのあのあの・・・・・

フザケルンじやない、このクソバカタレが

自分の言って回っていることにセキニンを持て

 

友の会の大晦日、年越しかき揚げうどん大会の、

うどんの量が、ハンパではなく

そのうえ、巨大かき揚げを三つも、のっけて、食べたのでした。

みんなは、二つ。

えばっちは、三つも、載せたのでした。

あーー欲張りだなぁぁぁーー

大晦日、食い物が大量にある幸せを、

感じたのです。

なかまが、いることにもね。

三度のごはんは三度ともいるのです、絶対にね。

なかまとともに、三度のごはんがたべられたら、

それで、いいのですよ、ほんと。

 

大晦日、元旦を、信州のトアル精神病院で、

過ごした、あの年の瀬は、忘れられません。

寒かった。とても、寒かった。

大晦日、おそばが出たのかどうかは、もう、忘れてしまった

ただ、元旦に、お餅が、お雑煮が出たのですが、

それが、

ナントも形容のしようのないモノで

形容のしようがない、スゴイものでした。

とてもじゃないが、食べられなかったのです。

でも、普通食のお雑煮を、お盆の上に、のっけている、

ぼくの方を

そうではない、おじいちゃんやおばあちゃん達が

じぃぃぃっと、見ているのです。本当にじぃぃぃぃぃぃーーっとね。

ぼくは、もちろん、食べたんデスヨ、もちろんね。

 

電気ショックもアッタんです。

飯は、ヒドかった。

弟を殺した人もいたんです。

保護室で、放火した人も、いた。

二人とも、死にました。

コロサレタにチカいかな・・・・

忘れられません。

 

弟を殺してしまったタさんが

あの時

こう耳元でささやいてくれた

医者にはさかろうたらあかん

ぜったい、入院中は、医者にはさかろうたらあかん

一度も退院することもなく

電気ショックをやられ続けたアタマを抱えて

死んでいった

後に残されたのは

膨大な量の岩波文庫の本だったハズだ

ハズというのは、その時、ボクは、退院できていたから

シャバにもどれていたのです

みんなを置いて、ボクは、シャバに、京都に戻って来れましたから・・

あの時

のハナシは、また後になる

あの時

タさんは、ぼくの耳元でささやいてくれた

医者にはさかろうたらあかん、と。

 

保護室に入るなかまを、保護室の前まで、見送っていった。

看護士に取り囲まれて

見送っていきました

看護の日勤帯が、終わる時間になると

いつもいつも、保護室に向かうなかまの

傍らを

二階のB2病棟まで、送っていった

日勤が終わるときの、恒例のパレードだった

ナンデ、あんなに、大勢の看護士が看護婦が、取り囲んでいたのか

二人で、脱走するとでも、想ったのか

そのたびごとに、こう言っていた

またあした、会いましょう、ってね

そうやね、おやすみ、ってね。

こう言って

保護室の前で

分かれたものだった

目の前で保護室の扉が閉められた

春には退院できて、うまくやっているものだとばかり

想っていたが、

秋になる頃には、もう、死んでいた

 

深夜に火災報知機のベルが鳴り響く

またか

やかましいな

またや

部屋からゾロゾロ出てきて

ふつう火災報知機が鳴ったら、

火事かもしれんと、逃げる準備のハズだが

ココでは、ソンナことはない

みんな、ゾロゾロ部屋から出てきて

デェイルームの、あの安っぽい食堂のテーブルとイスが

並んだところの定位置に、座りだすか

造り付けのグリーンの擦り切れた長椅子のある

あのコーナーに、座って、鳴りやむのを待っていた

やかましいな

寒いねーーー

今度は、誰が、やったのかな

今日も送っていった彼じゃないか

とおれに問いかける

そうしてやっとこさ鳴りやむころに

何処からともなく

あの彼が保護室で火をつけて布団焼いたらしいで

と云うハナシが、伝わってくる

みんなおれのほうをみている

アンタがライターわたしたんだら

ぼくじゃないですよ

じゃあどうやって手に入れたんずら

なかなか、あの若いの、やるな

看護士からケッコウやられるぞ、こりゃあ

眠気さめた

追加眠剤貰いに行こうかな

そのうち、詰所から看護士が出てくる

みなさん、もうそろそろ部屋に戻って寝てください

火災報知機の説明は無い

看護士さん、追加の眠剤貰えますか

ああ、いいですよ、取りに来てください

ほかのヒトも、入りますか

おれもおれも、と、ゾロゾロ何人か

詰所に向かって行く

おれは部屋に帰ろうとするが

ナさんだけ、そこに残っている

ナさんは部屋帰らないんですか

と聞くと

おれは、ここで、いいんだ

と言って、その造りつけのソファーに横になった

おれは、ここで、寝るんだ、と言う

その人は、部屋のベットでは寝ないという

寝れないという

このソファーで寝るんだという

背広というかジャケットというか

上着をキチンと着たままで、いつも、そこで寝ていた

そういえば、部屋のベッドで、寝ていたこと、無かった

看護士も、それを許していた

特別なことだった

なぜなのかワカラナイママになったのだが

おそらくは部屋のベッドで寝ていてナニカあったのだろうと想う

看護士すら、ベットで寝なくても良い、という事になるほどの

ナニカが・・・

 

タさんが

あるとき、弟をコロシテシマツタんだ、と、言った

唐突に言った

あまりに唐突に、突然言った

おれは、どう答えていいのか

分からず、どう反応し様もなく、凍り付いて、ドキマギしていた

電気ショックをやられ過ぎで

アタマのカタチが、変わってしまったんだ、と、言った

いつもアタマを抱えて、岩波文庫を読んでいた

ぼくも妹を半殺しにしてしまってここに来たんですよ

と言おうかな、と、想ったが、結局ナニモ言わず、

電気ショックでアタマのカタチ変わったんだ、というハナシを

ずっと聞いていた

電気ショックを何回も何回も

アタマのカタチが変わるほど、やられたんだよ、そう言って

タさんは、アタマを抱えながら、本を読むのだった

 

トさんが、言った

あの日は天気はよかったんだが、波が高くて大変だったんや

天気は良かったんだよ、天気は良かったんだが、

でも、波が高くてね、波が高くて大変だった

と繰り返し繰り返し、言った

トさんは、それしか言わない

それで、ぼくは、もしかして東郷元帥ですか、と、尋ねたんだ

彼は、ぼくを見て、ニンマリ笑って

こう言った、いつもより、幾分はっきりと、大きな声で、こう言った

あの日は波が高くて大変だったんだ!!!!!!

彼が外出するのも、散歩に出るのも、

大体、病棟から出るところも

見たことがなかった

そもそも、部屋から、出ていないようだった

ぼくの退院が決まった日、挨拶に行くと

あの日は波が高くて大変だったのだ、と、いつもより、小さい声で

ヒッソリと言った

退院した後、面会に行くと

彼は、ぼくに、ナンニも、言ってくれなかった

まるで、ぼくが、ソコには、存在していないかのように

タイインシテシマッタぼくは、彼を、裏切ったのだと、想いしった

退院してしまって、裏切ったのだと。

その後、退院したぼくは、入院していた病棟に、面会に行った

お見舞いと云うよりは、面会に行った

考えてみれば、あの時以来、入院していた病院に、

なかまを訪ねて、面会し続ける、と云う、ことになったのかもしれない。

東郷元帥に感謝すべきなのか

恨むべきなのか

その時から、ぼくは、10年以上経って「バクチク本」を持って行った。

東郷元帥は、もういなかった。

それから、また、15年も経ってしまって、コレを書いている

東郷元帥は、今は、ドコにいるのだろう。

 

バクチク本をもって、再訪した時、病棟のほとんどのヒトたち、

そのマンマ、あの病棟にいた。

時間が止まったかのように、みんな、そのまま、ソコにいた。

もっとも、ナンニモ変わらずにと云うわけではなかったが、、

十年前は歩いていたヒトたちが、車いすに、なっていたのだが、、、、、

タさんに読んでもらおうと、持って行ったのだケレド、

彼ダケは、ソコには居ず、もう、ぼくを誰だかわからなくなっていて、

意識も、なく、

ありていに言ってしまえば、植物状態で、

病院から離れた老人施設のベッドに横たわっていたの、

だった。

看護婦に言わせれば、原因不明の感染症によって、そのような状態になり、

この施設に移された、と云うことだった。

枕元に、バクチク本を置いて、帰ってきた

京都に帰ってからも、ずっと、ハガキを送り続けていたのが、、、

良かったのか悪かったのか、ただ、そのせいか、

ほどなく、彼が死んだ、という知らせが届いだ。

知らせてくれただけ、マシか、と、想った。

友の会の夏レクの準備をしていた

 

レ君が言った

お茶いるだら、いるだら、そう言って

いつもいつも、小さなアルミニウムのやかんにお茶を入れて

みんなに配って歩いていた

信州の冬は本当に寒い

リノリウムの床を裸足はツライ

ここでは

タバコとカツプラーメンと

そして、なんと、スリッパが

貨幣なのだった

彼にはずいぶんと

スリッパを

騙し取られたモンだ

今どうしているだろう

少し知的障害があって

よく保護室に入れられていた

精神病院がいいのか、ここの前のコロニーがいいのかナンテ

よく、看護士や看護婦が、言っていた

彼は、どうなったンだろう

 

ここは、今は、どうか知らないが

あの時は、ここら辺は、本当にナンダか

チガウ雰囲気の一角だった

田んぼとリンゴ畑の真ん中を田舎道が走っていて

その道の着きあたりがとてもガッシリした土手で

その土手の向こうに天竜川が滔々と流れていた

ソコに向かって右手に、

ここら辺ではの単科の精神病院があり

広大な敷地だった、たしか、看護婦宿舎もあった。

左手は、例の全コロのコロニーで、

ここもまた、広大な敷地に、

畑と、知的障害者のみなさんの宿舎が

職員宿舎が何棟も、並んでいた。

国鉄の駅と、病院とをつなぐバスが、午前二本午後二本あるきりで

車でもなければ、移動も困難だった

 

アルプスの山々が、とても美しかったハズなのだが、

一年近くいて

景色の美しかったことが、どうにも、想いだせない。

大体、世の中が、大虐殺の大ボス千代田城の主の下血騒ぎと

死亡で、タイヘンだったと、後で、聞いたが

おれは、まったく、おぼえがない

 

テレビの話題は

今の友の会のみんなの部屋とまったく一緒だった

野球と相撲だった

時代劇もよく見られていた

ぼくのいた病棟では

将棋や囲碁は、あんまり、やられていないようだった

 

病棟のなかで、千代田城主のそのような話題がアッタと、

まったく記憶していない

記憶から抜け落ちているのか

それとも、本当に、あの中での、会話の中に、ソンナことが無かったのか

本当のトコロ、わからない。

ただ、憶えている、病棟での会話に、千代田城の城主の事など、

一度も登場したことは、ないと、想う、のだ。

世間様は、大騒ぎダツタそうだが。

そう、でも、ただ、イさんが、

実はねワタシがね、ヒロノミヤさんのお嫁さんに内定しているのよ、と、

言っていたのを、想いだす。

 

上の階B2病棟には

日蓮大聖人が三人もいた

よく、ケンカにならないものだと、想ってはいたが

やはり、いろいろと、あるようだった。

ぼく自身は、日蓮大聖人様たちとは、

なじめなかった

ちょっと、コワカッタ、なもので、離れていた。

今想えば、イロイロと、スゴいハナシが聞けたかもしれないと、想う。

 

外勤のヒトたちがうらやましかった

キホン的にはアル中の患者さんたちなのだが、苛められた

各病棟にアル中部屋が必ず一室あり

そこの住人が、病棟を支配していた

喧嘩と云えば、実は、その部屋が一番多いのだった

みんな、その部屋には、できるだけ、近づかないようにしていた

おれたちは、アル中のヤツラと言い

アチラはおれたちのことをアタマのヤツラと、言っていた。

混合がいいとは想うが

アル中は、別の病棟にしてほしい、といのうが、本音である

我々には、ほとんど、面会はなかったのだが

アル中の患者さんたちには、けっこう、面会者があって、

親や奥さんや恋人が、来ていたと、想う。それも、うらやましかった。

外勤作業に行くもんだから、金も持っていた。

製材所と云うことだったが、ひどい低賃金だったハズだが、

それでも、おれたちからみれば、高所得者だった。

看護士の態度が、アル中の患者さんたちと

おれたちとでは、まったく違っていた。医者の態度も。

 

ひとり、シンナー中毒の若者が入ってきた

ヒトなつこく、誰にでも好かれていた

依存症なのだが、彼だけは、アタマの側に、入れられていて、

アル中のオッサン達からも、そう、扱われていた

高校生ダッタと想う

キモチのやさしい青年だった

一人っ子で

親は、土建屋で、地元のそこそこの企業を経営しているようで

お金も持っていた

こんなとこにいたらあかん、とみんなから言われていた

退院したが、またすぐに戻ってきて

また、やっちゃって、と、風呂場で、言っていた

ぜんぜん元気そうだったのだが、

肝臓がやられていて、すぐにまた、内科の方に転院していった

泣きながら死んでいったと、聞かされた

看護婦がそう詰所で、言っていた

 

アル中の青年が一人入ってきて、それが、

アタマのぼくらのところでもなく、

アル中部屋のオッサンたちのところでもなく、

どの部屋にいたかというと

例のコーナーのところの作り付けの長椅子の後ろ側に

小さな部屋があって、そこは診察室という名目で精神医が

インタビューという名前の入院患者さんの診察の場所だった。

本来の使われ方では、アンマリ使われてはいなかった。

で、実際は点滴部屋に使われていた。

そこが急遽、その青年の病室になった。

空きベッドがなかったのか、

それともアル中部屋にも、アタマのぼくたちの部屋にも、

入れない配慮があったのか。

ともかく、あの小さな部屋は、おもしろい使われ方をしてたと想う。

一時、緊急保護室にもなったし、患者側の立て籠もり場所にも、なっていた。

その青年は内観療法が良かったと、アッと云う間に退院していった

我々、アタマのみんなは、ナンノコッチャ、、、、、だったが、

うらやましかった

 

入浴は、週、二回だったか、三回だったか、

男性が先の時と、女性が先の時とが、交互に来るので

マチガッチャって

ところが、それで、ごちゃごちゃになるのに、みんな平然としてた

どういうことかというと、ツマリ、入れ替えの中間帯は、

時々、男女混浴になってた。

誰も驚かず、騒ぎもせず、おれだけが、腰を抜かしてた

恥ずかしかったなぁ、あれは

不思議なことに、看護婦も看護士も、ナンニもしないのだった

それが、よかったかもしれん、

入浴中に看護士や看護婦が入ってきたら

みんな、サッと緊張してたもんな

風呂の中で、みんな緊張するのが、本当に良くワカツタ

曜日で、固定してた時もあるようなハナシをきいたが、

その時でも、コンナだったらしく、

とにもかくにも、それが、フツーのことだった

今は、どうかな、、、、、

 

風呂場に、ウンコが落ちていて

実は、度々あるのだが、

そのたびごとに、服を着て、詰所まで報告するのが

役目ダッタ

服の着替えが一番早かった、ノデ。

つまり、おれが、一番若かった、ということだ。

その時確か29歳。28歳で入院して29歳で退院したんだから。

ともかく、若くて、とにかく、身体が動けば

ヨレヨレのおじいちゃんたちの、介護役になるのだった

それが、自然のなりゆきだった

そして、ウンコがあっても、入浴は、続くのだった

看護婦も、ウンコだけ拾って、ソノママだった

 

脱衣場と物干場が、同じなので、

ツマリふろの脱衣場が、洗濯物を干すところにもなっているんだけれど、

入浴日には、洗濯物を取り込んでおかないと

無くなる、ってこと、ナンだ

だって、風呂入って、上がってきたところに、洗濯物が干してあるんだから

おじいちゃん達、それ、着ていっちゃうよ。

洗濯物干しておくと、無くナッチャウってとこは、

ホント、ソコントコは、自衛隊と、一緒なカンジだったンダ。

他にも、良く似たところがあって、

この雰囲気、両方に行ってないと、分からないと想う。

だから、ムショと精神病院、両方に行ってたヒトがいて、

そのヒトの言う事が、、、、、、、どちらもヒドイ、って。

でも、どちらかといえば、精神病院の方がヒドイ、って。

ボクも言おう

軍隊も精神病院も、できるなら、入らない方がいい、、、、

イイトコじゃないに、決まってる

軍隊も精神病院も、入らない方が、いい、ですよ。

 

ずっと、四肢拘束されてるおばあちゃんがいて、

ずっと、保護室に入れられている青年がいて、

誰がどう見ても、誰がどう考えても、

アレはむごいモノだった。

B1病棟の保護室は、別棟に二室あって、それはそれは、重装備なものだった。

図でもかければいいのだか、壁の一面が、丸っぽ完全鉄格子なものだから、

丸見え、と云うか、動物園というか、窓に鉄格子じゃなくて、

壁が一つなくなっていて、鉄格子になっていて、

それは、なんとも、ビックリすると想う。

ずっと入れられている青年が、頻繁にドアを叩くので

とても、タイヘンだった。

昼もなく夜もなく、叩いてた、叫んでいた。

あの保護室は、詰所から遠すぎるよ

病棟の図でも描ければいいんだが、、、

想いだせるかな、、、、

 

作業療法棟と云うのが、あって、そこに、作業療法士が二人もいるんだが、

作業療法なんて、ひとつもやってなくて、いつも、ガランとしてた。

設備だけは、じつに立派で、ソコダケ、公民館っていうカンジで、

陶芸の電気釜や、調理施設やスポーツ施設や、

茶室として使えるようにまで、なっていた。

だから、そこの和室が、一人に為れるとても、静かな場所だった。

おれは、そこで、作業療法の名目で、絵を描いたり、

ナニか工作をしていることになっているハズだったのだが、

実際は、ソンナことなど、ほとんどナンニもなくて、一人の時間が楽しめた、

ありがいことだった。

 

ある時、その作業療法棟から、帰ってくると、

病棟の食堂の床に、ナンダカ血らしきものが、、、

みんなも、若干青ざめている、様子がナンダカおかしい、

どうしたんですか、ナニカあったんですか、と聞くと、

なんでもずっと保護室に入れられていた、あの青年が、

看護士に突然、襲い掛かっていって、

その青年も、看護士も、血まみれになって、凄かったんだよ、

と云うハナシだった

こわかっよおぅ、と言って

どうも、その青年の方がワルイんだ、と云うようなことを

言っていた

その青年は、そのまま、ここからはいなくなり、

保護室からのドンドンは、止んだのだった

彼は、ドコヘ行ったのだろう

しばらくは、やられた方の看護士も、休んでいた

 

そうだ、あの時

あの時のことを、書いておこう

あの時

それまでに、もちろん、いろいろと、こうなる状況は

あったのでは、あるのだが、それにしても、、、、、

、、、、、、いきなり、、、、、、

いきなり、本当にいきなり、走ってきて

医者が後ろから、飛び掛かってきて

リノリウムのあの固い冷たい床に、

殴り倒されて

上から馬乗りにされて、首を絞められた

それでも足りずに、今度は引きおこされて、

何発も、顔面に貰った

もう一度、倒れた時は、ほとんど、気を失いかけてた

周りに呆然と、立ちすくんでいた

患者さん達や、看護婦や、作業療法士達が

まったく、身じろぎもせずに、凍り付いたかのように凝視していた

まるで、時間が止まっているかのような

スローモーションのような

不思議な感覚だった

その時

タさんがスッと近づいてきて

耳元でささやいてくれた

医者にはさかろうたらあかん

入院中は絶対に医者にはさかろうたらあかん

あの時、それは、とても、勇気ある行動だったと想う

それからナニカが解けたように、そこにいた全員が一度に動き出して

その精神医は、何人かに囲まれるようにして出て行った、と想う

いや、一人で、白衣をひるがえしながら、立ち去って行ったのか、、、、

ボクの方は、ようやく看護か誰かに助けおこされた、

よく憶えていない

ともかくも、病棟に戻ると、

さすがの病棟婦長が、おれを一瞥して、青くなっていた

後で鏡を見ると、顔と首の回りが、ナントモハヤ、凄いことになっていて

誰が見ても、ナニカあったと、わかるわけだった

普通なら、内科かなんかで、レントゲンを撮ったり、

一応なんか、検査か、した方が良いのだろうが

ともかく、院長が来て、人差し指を眼で追うように言った

モノが二重に見えてないか、確か、ソンナことを聞かれたと、想う。

院長は、すぐに病棟から出て行って

詰所で、ナンカ貼ってもらったような気がするが、よく憶えていない

何日かたって

地元の地方紙が、早速にカンづいて

入院中のボクに取材を依頼してきたから、騒動になった

誰かが、外に、漏らしたんだ

後で考えると、院内の医師達の派閥争いに利用されたようだった

医局長派と副院長派の対立にね

ボクはモチロン、取材を断った

入院しているんだからね

断ったにもかかわらず、新聞記事になってしまい

院内で、医者が、入院患者を暴行、

と云うような、実にベタな見出しの小さな記事だったと想う

ドコカに、記事のコピーが取ってあるはずなのだが・・・

それ以来、まるで、ボクは、病棟の、

いや病院全体のアンタッチャブルになってしまった

 

だって、退院はできないんだから、

こんな事件があったって、

入院し続ける以外にはなかったんだ。

実家にも、京都にも、帰れなかったんだから・・・

とにもかくにも

それ以来、おかしな雰囲気の中、入院生活は続く

それ以来、入院生活が、良くなったのか悪くなったのか

少なくとも、厄介なアル中部屋のおっさん達や、

看護士たちが

ボクを避けるようになったから、身は安全とは、想った

 

看護婦に為りたかったんよ

学校にも受かって、行ってたのに、コンな病気にかかっちゃって

と言いながら

詰所に入り込んで、ナントカ、看護婦の手伝いをしたくて

詰所に入り込んで、追い出されていた

いまから想えば、クスリの副作用の

乳汁分泌に、悩んでいた

シャツの胸のトコロがいつも濡れていて

アレはクスリの副作用だったんだよ、

今なら、教えられるんだが・・・・ナントカナルカモシレナイよ

もう遅いなぁー

うまくいけば

詰所で、脱脂綿を、ハサミで、切らして貰えてた、ね

その娘にしてみれば苦しかったと想う

急にいなくなっちゃって、ドウシタンダイ、、、、

急にいなくなっちゃって、、、、、

 

落ちる落ちる

落ちる、と、ぼくに言う

ぼくが、食事の後、プラスチックのお盆に食器を載せて

配膳窓口に返しに行くとき

お盆の上の牛乳瓶を指さして

彼は、デェイルームの同じ席に座ったママ

必ず、言うのだった

倒れる、倒れる

倒れる、と、ぼくに、言い続ける

いつも、将棋盤を前にしていた。

それが、将棋を本当にさしていたのを見たことがないのだが、

その彼が、いきなり、倒れて、意識不明になり、

ストレッチャーで、運び出されていった

大騒ぎになった

そのまま、彼は、戻っては来なかった

ナンニも知らされないまま

例によって、入院患者の中では

例のどこからともなく、コンなハナシが拡まった

ロボトミーの後遺症で、血液の成分が

無茶苦茶になった、というものだった。

不思議なことに、死んだと云うハナシはでなかった。

入院患者の中で、どこからともなく拡がるハナシは、

割と正確だった、と、そう想う。

だから、彼は、あの時、死にはしなかったのだと、想う。

ただ、二度と、ここに、戻っては来なかった

いつもいつも、お盆の上の牛乳瓶が、

倒れないか、シンパイしているヒトだった

そのころは、スイカ割りをされた患者が

本当にいたのです。

本当のことなんですよ。

誰も、おもてだっては、口にはシナカッタ。

でも、あの時だけは、語られたのです、患者たちの中でね。

彼の前の、あの将棋盤は、いつしか、かたずけられていて

誰も、そう、誰も、、彼の席には、座らなかった

食堂の、エル字型の壁ぎわの角の席だった

 

あるとき、今日、電気ショックがやられたようだ、そう、ハナシが伝わった

いつものように、あのコーナーに、

あの擦り切れたグリーンの長椅子に座って

よもやま話をしていた、あの面々が、

一瞬にして、こわばって、真っ青になっていくのが、わかった。

そしてそれが、あっちの方の廊下にも、こっちの方の廊下にも

そして、デェイルームと云うか、食堂と云うか、テレビのあるとこへも

まるで、まるで、さざ波のように、伝わっていった

それは、恐ろしいものだった

看護婦や看護士たちも、ナンダカ、キンチョウしているように想え

そして、いつもより、とても優しく、感じられた

いつもより、もの言いが、優しいのが、本当に、怖いんデスヨ

本当のことなんですよ。

その日は、ナンダカ、一日、静か、ダッタ

 

ボクの入院体験なんて実際はたいしたことはないんです。

期間も、一年くらいだったんだし、

全開放だったんだし、ね

全開放といっても、まわりになんにもないんで、

どこにも行きようがない、

だから、道を一つ隔てた巨大コロニーの方も

ぼくたちの精神病院も、どういうわけか、

門のところから誰も出ない

どう言うかな、「自主閉鎖」と言うか、「お手盛り開放」とでも言うか、

とにかく朝8時頃から、4時半頃までは、開いているんだけど、

夕方からは、閉まっちゃうし

なにか病院か看護の都合で、いきなり勝手に閉鎖になっちゃうこともあったな。

 

そこで、ボクは何度か門を出て、

田んぼのど真ん中の道を延々と歩いて国道まで行ったことがあるけど、

なんというか、それだけのことで、

また病院まで帰ってきた。総行程10キロはあったんじゃないかと想う。

なにしろ、遠かった、遠い、道のりだった。

今から25年以上前の話だから、変わってはいると想うけど

本当に何にもない、信州の田んぼの中を、てくてくと歩いて行ったんだ

カンカン照り、でさ、信州というのに、ギラギラした太陽だったなぁ

 

それに、そう、県立病院だったから、看護の数も多かったんだ。

それでもコウなんだから。

今は、どうも精神科救急の拠点になって、

ホームページでみると、あの時の建物は、一つもないようだ

外見は、とても、キレイな様子になっている

エラく豪華な、精神科救急に特化したような、病院の姿が、

パソコンの画面にあった。

観察法病棟もあるみたいで、しかも、児童精神科もあるようだった。

あの時、入院していた患者さんたちは、ドコへ行ったんだろう

と、そう想う

 

楽しいことも、アッタンだ

愉しいことも、なけりゃあ、あの中で暮らしてはいけないよ

そう、暮らして、、、、暮らして、いたんだから

たしか、あれは、お花見だ

どこかの城跡に、お花見に行った

アンナにたくさん、病棟に入院しているのに

いざ、外に、お花見に出かけるというレクに

参加する患者は、少なくて、ごく少人数で行った。

寒くて、寒くて、あんなに、寒いお花見は、後にも先にも、あのレクだけだった

あれより寒い、お花見は、ないと想う、未だに。

寒くて、曇天で、しかも、

桜は、あんまり、咲いていなかった

みんな、一ちょらの服を着て出かけた

ネクタイしめて背広を着ていた、んだから。

出かけるときは、本当に、ちゃんと、背広を着ていたんだ

年に何度か、一度か二度の、レクのために、背広とネクタイが、あるのだった。

だから、出発前は、前の晩から、タイヘンだった

どっかの阿保が、ギイン前にした口演のために、背広着るのとは、

意味が違う。

あれは、本当に、あのおじいちゃんたちの、

サイゴの矜持ダッタのかもしれない。

それにしても、なんで、あんなに寒かったのか

その時、看護士か、誰かが、撮ってくれた写真が、手元に残っている

あのレクに参加した面々だから、少しは、ゲンキだったはずだけれど、

二十五年以上も経った今、誰が、生きているのだろうか

あの血みどろになった、ずっと保護室に入れられていた青年も

看護士も二人とも、写っているのが、不思議な気がする

その写真、コレ読んでる人も、見てみるかい、

でも、写っている人たちの了解とれないしなーー

いい写真だよ

 

退院した時、

たった一年近くのコトだったのだが

それでも、その時には

昭和ではなく、平成になってたし、

ともかく、景色が、違って見えた

 

いつの間にか

ヒトがいなくなる

あの恐怖は、分からないと、想う

 

去年は、友の会のなかまが、三人亡くなっていきました。

古い古い友人が、二人も、自ら死んでいきました。

我々は、滅びゆく、種族、なのでしよう。

 

27日のクリスマス餅つき大会は

とても、素晴らしいものになりました。

20人くらいで、10キロ近くのもち米が

お餅と赤飯となって、ケーキや

お土産に頂いたクッキーや、お漬物や、

丹波黒豆や、

オードブルなどと共に

おいしかったです。面白かったです。

お餅が、たらふく食べられると、うれしいですよね。

入院中のなかまも、交流のお客様もみえられましたので、

素晴らしかったです。

大晦日は、年越しおうどん大会です。

ありがたいなぁぁぁぁぁーー

シャバにいられて、ありがたいなぁー

 

ツマルトコロ

発達障害概念の

容易貼付化と適用拡大と容易添付化と

過剰診断とインフレ診断と過大期待に対して

徹底的な批判をしたいわけです

そして、完全な、根底的な、全否定をしたいわけなのです。

 

なぜなら

発達障害は、

我々キチガイ病患者を、

精神病患者を

蔑み、差別し、侮辱し、忌避するためにこそ、ツカワレルからです

早期介入は発達障害を通じて強化されるからです

保安処分は発達障害を通じて強化されるからです

社会復帰路線は発達障害を通じて強化されるからです

発達障害にこだわると、実際の減薬がうまくいかないことも

アルからです

発達障害は結局精神医療と精神福祉と精神保健と

心理のセカイを

強化拡大していくからです

 

欧米発のモノです。

その後本家本元のアメリカでどう使われているのか、

いいかげん、

本家アメリカのゲンジツをミルべきです。

イイコトばかりではありません。

トンデモナイことが、はじまっているんですよ・・・・

 

そも、イギリスの母親と専門職とを兼任している立場の

ドウタラ女史トヤラが

自閉症の我が子のために、

自閉症ガイネンを成人に向けて、

徹底的に、とめどもなく、拡大し続けたのが

ハッタツ障害ガイネンではありませんか、

そもそも、ソコに、なんらかの、

母親と専門職という最悪のカップリングの立場性からくる

ママらしい意図が、

アッタとは、考えられませんカネ

 

今、発言しなければなりません、そう、想っています。

笠医師との、これほどの、意見の相違を、

外に、知られるのを

避けようとしてきたことが、

結局、ワルカッタのだと、想います。

 

えばっちは、いま、『自己批判』をしようとしています。

なぜなら、えばっちの見るジジツと、ゲンジツとは、

明らかに違うことを、

大量投薬を、そして腐った毒殺精神医を憎むあまり、

しかも、

笠医師を少しでも、助けようと、

支持してきたからです。

 

シンジツとゲンジツは、

ゲンヤクをしてクスリがゼロになるのは、

一割から二割です。

それが大多数そうなるかのように言ってしまった。

笠医師は、わざとに、嘘を言ったのです。

 

敵に隙を与えるからと、いって、

こちら側が嘘を言ってしまえば、終わりです。

敵がどう言おうと

こちら側は、シンジツを言いゲンジツから出発すれば、

良いのです。

 

だいたい、いつの世も『病の原因』の探求は、

かえって医療の拡大と強化をもたらし

患者自身のジンセイの無視と破壊につながっていきました。

特に精神科は、その傾向が強いとは、想いませんカネ

 

そも、

精神分裂病統合失調症発達障害

と、すすむにつれて、レッテルが貼りやすくなっていませんか

精神科が拡大してイッテイルンですがね・・・

精神科心療内科メンタルクリニック

ついには、カウンセリングルームと、すすむにつれて

受診しやすくなってはいませんか

ハツタツ障害は患者を倍にするダケですよ

いや、もっともっと、多くなるでしょう、

十倍かな・・百倍かな、、、、、

しかも、ナニを誤解しているのか、

ジブンの方から掛かりに来る、

ジブンの方から症状を増やしていく、というのか、

発達障害は、才能がアルとイコールやと、でも想うのか・・・

ジブンのほうからいくんですよね、、、、

ソコが、精神分裂病とは、チガイますよね、オソロシイ

 

生活保護で、一人暮らしで、高齢で、

精神病院から退院したことのないヨウナ

病者達のことを、歴史からなかったかのようにする、

ゲンヤクで苦しんでいる患者を、無かったかのように、言う、

ゲンヤクに苦しんでいる患者に、寄り添ってはいないような

ゲンヤクをアキラメた患者を敗者扱いし

クスリがゼロになった患者を勝者扱いし

ゲンヤクで苦しんでいる患者に、

アンタの努力が

足りないからだと、説教と折伏をしてくる

そのような態度に、

えばっちは今や、ココマデの自己批判しつつ、

徹底的に笠陽一郎医師を批判すべき時が

徹底的にくじら会の母親たちを批判すべき時が

徹底的にハッタツ障害概念と闘うべき時が

ついに、来たのだと、

自己批判しながら

闘うべき時がきたのだと、想い知ったのです

 

何故、あんなにエラそうに、クスリゼロを言うのか

何故、あんなにエラそうに、ハッタツ障害だ、統失ではない、と言うのか

トーシツじゃナカツタと、喜びを顔いっぱいに、目を輝かせて、言うのか

母親が、同じママ友に、満面の笑みを浮かべて、こう言う

うちの息子ね、精神病じゃなかったんダッテ、

ハッタツ障害だったんダッテ、と。

走ってきて、頬を紅潮させて、そんなに嬉しそうに報告すべきことだったのか

そこに、精神病に対する忌避感と侮蔑感はなかったのか

そこに、精神病患者への差別意識は、ナカッタと、言えるのか

 

うちの娘は、精神医療と、手が切れたんですよ、

と、ソンナに

鬼の首でも、取ったかのように、言うのは何故なんだい

だったら、卒業して行ってくれよ

残って、それを宣伝するから、そうはならない者たちが

より、苦しむことになる

まるで、そうはならなかった者たちの努力が足りないかのように

エラソウに言う

なんということだ

差別と侮蔑の再生産をやっているダケだ

 

クスリゼロになって、うちの息子は、大検受かりましたって、、、、

あーーーソウカナそうかな

ソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナ

うちの息子は、精神科医になりましたよ

あーーーソウカナソウカナ

カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ

クスリゼロになって、うちの娘は、看護婦試験受かりましたって、、、、

あーーーソウカナそうかな

ソウソウソウソウソウカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナナナナナ

うちの息子は、大学に入りマシたよ

あーーーソウカナソウカナ

カナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナカナ

 

笠陽一郎医師が

腐った毒殺精神医の大学の教授が、

セカンドに行った母親に

こう言い放ったと、書いていた。

どうしてそんなに診断にこだわるんですか

精神病に対する偏見じゃないですか

ってっ、かっ。

笠医師よ、おれがセカンドのママさんたちに、そしてアナタに、

精神病患者に対する差別意識があったのではないかと指摘すれば、

アナタはこんな腐った大学教授の話を持ち出そうとするのかい

同じようなことを言っていても、意味が違う。想いが違う。

 

何故か。

二十五年以上前の、

ぼくの入院体験を、

書いてみたンダ、読んでご覧ナ

これは、ほんのひとこま、のハナシさ。

そのおれが、はっきりとこう言ってるんだ

セカンドに開いていた大穴とは、

精神病者に対する差別意識、忌避感情、侮蔑感だったとね

チガウかな

だから、

何故、あんなエラそうに、家族と本人の、努力が

足りない、みたいに、言うのかね

何故、

あんなエラそうに、クスリを飲んでいる患者に

当たるようなことを、言うのか

さげすむように言うのか

クスリを飲んでいる精神病患者に対して、

ものすごく、侮蔑感を

侮辱感を、丸出しにしていると感じるのは、

おれだけなのかな、、、、、

くじら会のママさん達も、成功体験バックにするから・・・

えらく、侮辱的だねぇーー

 

徹底的に

ハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピートの

プシ共闘、病者集団、全精連、全家連と

ハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピートの

山本ミユキ、山本マリ、関口リュウガン、

広田カズコ、加藤マキコと

ハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピートの

ベテルムカイヤチ、やどかりヤナカ、コンボオケタニ、

センタ小林ノブコ、月崎トキオと

ハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピートの

プシ医師タワラ、ウラベ、オカエ、ナカジマ、トミタと

ハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピートの

全家連ヤマシタ、タキザワ、オオタニと

闘うべき時が来たと、想っています。

ハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピート、

リスタート、エンドレスシャカイフッキ、

ハッタツ推進保安処分、

病者差別侮蔑忌避蔑視侮辱に対して

闘うべき時が来たと、

想っています。

 

母親たちは、

結局はハッタツゲンヤクバージョンエンドレスリピート全家連をこしらえ、

クスリがゼロになって、

就学就職に成功した我が息子や娘たちを中心に、

社会復帰バリバリの、家族会傘下の当事者会を、作り上げるでしょう。

ハッタツクリェイティブハウスか、

ゲンヤクハッタツダンヤク拷問ハウスを作り上げるでしょう。

本人の了解なしにやれば、どのように良き意図をもってやったとしても、

拷問になるのです。

新しいタイプの精神科拷問課です

ダンヤク拷問、ゲンヤク拷問の、登場です。

我々キチガイは、

古いタイプの拷問にも、新しいタイプの拷問にも

殺される、ことになるのです。

そして、笠医師を使いツブシタ後に、

ジブンタチに同調する若手医師を確保してきて、断薬専門クリニックまで、

つくりあげるかもシレマセン。

そして、それらは、結局は、既存の精神医療を強化しつつ、延命させ、

患者会文化を、完全に抹消シクさるでしょう。

なぜなら、それは、当事者の自立ではなく、

母親と、

医師をはじめとする医療福祉サポートチームへの、

徹底的な、依存を勧めるからです。

拷問されながらの依存に、ハッタツ当事者は進んでいくのです、自らね。

「依存する社会復帰競争」というか

「社会復帰のための依存競争」といったものになっていくでしょう。

見方を替えれば

「拷問されながらの依存競争」というか

「依存させながらの拷問競争」とでも、いうか

 

依存してナニが良いのだ。

クスリを増やすのも減らすのも、

入院させられるのも、

施設に入れられるのも、

母親と精神医とサポートチームの好きなようにさせられるんですよ。

モチロンうまくいった場合のハナシです、それは。

ウマクはいかないと、十年以上も拷問が、続くことになる

退行から、もどらないことも、ある、、、、、親子心中までも、、、ね、、

もどってはこないことも、あるのです、よ。

ゲンヤクが、ヂゴクのようになることも、多いのですよ

タイヘンナたいへんなコトナンデスヨ

しかも、嘘まで、言ってしまった

ハッタツしかないんだと言ってセカンドしたら

先に診断名が決まっているセカンド診断だ

無茶苦茶なことを言っているんですよ

ボクの自己批判なんかでは、済まないんですよ

 

母親の愛は、障害者となった我が息子や娘を限りなく、

健常者に近づけつつ、も、しかも、

なおかつ、徹底的に自立を阻むからです。

徹底的に健常者化を煽ります。

ジリツしなくったっていいんですよ

シミンになってもらいたいのですよ。

大したものになってもらいたいのですよ

ひとしなみになつてもらいたいのですよ。

それが、親、と云うものなんですよ

そして、より、より、健常者化を果たせた母親が、

より果たせなかった母親に君臨することになるのです。

そして、サポートチーム要求のための、

減薬を勧めるための、

断薬のための、

制度政策提言路線にはまり込みます。

ハッタツ障害の娘や息子たちは、

そこに、とても居心地の良い自己実現のゆりかごを見つけるでしょう。

より、より、健常者化を果たせた娘や息子が、

より果たせなかった息子や娘の上に君臨することによって。

そして、母も娘も息子も、スタッフ化、専門職化の道を歩むことになるでしょう。

口演会も、公演会も、ハッタツ音頭も、大流行りにナルデショウ

もう一度、「古い古い作業所路線」が、

ハツタツと云う、さも、新しい上塗り化粧を施して

繰り返されるダケですよ。

まぁ、今回はハクシ者が、増えるでしょうガね。

それが、ハッタツと云うモンダ、チガイマスカネ

精神医になるヤツまでも出てきます。

精神医療系、福祉系、専門職が、涌いて、出てきよる

「半端者センセイ五職」音頭の醜い踊りです。

笠陽一郎医師は、この醜い踊りに、理論的支柱を与えただけです。

患者会を滅ぼしながらね。

フザケルンジャナイと、想います。

 

そして、保安処分が、徹底的に、拡大強化されることに、利用されるのです

ハッタツ障害専門観察法病棟が、出来るでしょうね。

今まで、トウシツではブンレツでは、

入れられなかったニンゲンを入れるのに

リヨウされることでしょう。

今まで、精神科に、縁がなかったニンゲンが、大量に

縁付け、サレルンですよ。

ムリヤリと、そして、ジブンから、、、、も、ね、、、

そう、それが、それが、

それが、ハッタツ障害概念なのです

精神病をバカにしながらね、、、、、

 

笠医師、アナタね、ウンドー的な意味で、だろうと想うけど、こう言ったね。

それは単なるアイデンティティ・クライシスじゃろ。

と。言い放ったよね。

アナタね、いい加減にしてほしいよ。

一人一人の患者、一人一人の病者、一人一人の相談者に

精神医がワザとに何の権利があって

アイデンティティを掘り崩すようなことをするかね。

アナタね、とても危険だよ。

しかもね、患者が死ぬよ。

アナタ何の権利があって、患者のアイデンティティを

破壊することができるなんて、思ってるんだろうね。

しかもそれを、セカンドと称して、やり続けるんだね。

 

みんなの部屋のね、ナカマがね、こう言ってるよ。

「クスリゼロになりそうなんですよ。

それでクスリゼロになったあと、どうすればいいのかわからないんですよ。

クスリを飲んで生活保護を取るか、

本当にクスリゼロにして社会復帰を果たすか、どうしたらいいんでしょうね。

でもね、本当に苦しいのは、自分は何者なのか、が、

わからなくなっちゃったことなんですよ。

僕は何者なんでしょうね。

僕はなんだったんでしょうね。

精神病じゃないんでしょ?誤診被害だったんですよね。

でも、誤診だったダケでモンダイ解決ですかね。

クスリゼロになっちゃったら、僕は何者になるんでしょうね。

だとしたら、クスリ飲んでた20年間は僕にとってなんだったんでしょうね。

僕は何者なんでしょうね。」

 

精神医はなんだって、なんの権利があって、

人間の生きるアイデンティティを、

そんなに簡単に崩してしまうかね。

確かにウンドー的には大量処方、

誤診誤処方を糾弾していくにはよかったんだろうけど、

なんなのかなー、アナタ、おっそろしく傲慢な、

人の命をなんとも思っていない、

トンデモない医者だと想ってしまうんだよね。

おれ、こんな精神医に鉄砲玉として、

散々利用されてきたと想うと本当に哀しい。

 

そうしたらね、ナカマの一人がね、こう言ったよ。

えばっち、それはね、笠医師を含めて、すべての精神医が、そうなんですよ。

すべての精神医療が、それが目的なんですよ、と、言ったね。

おそらくこれ正解だね。えばっちも、そう想うよ。

観察法も、措置入院も、大量薬物投与も、精神分裂病も、

四肢拘束も、電パチも、

それから、閉鎖病棟も保護室も、看護士の暴力も、

行動認知療法も、内観療法も、

カウンセリングも、すべては、

おそらくすべては、

患者の自尊心を破壊し、アイデンティティを掘り崩し、命を獲る、

そういう拷問を精神医療だと称してきた訳だ、とそう想うンダ。

笠医師、アナタね、アナタも一緒だよ。

アナタもね、ワザとに、患者の自尊心を破壊し、

アイデンティティを掘り崩し、命を獲ってきたんだよ。

それをセカンドと称してやってきたんだよ。

そりゃ、ある一定の条件では、救われた若者もいるだろうよ。

でも、一体どれだけの人間が、苦しめられ、殺されていったことか。

こうなると、アナタの方が、より悪辣だね。

ワザとにそうすることが、精神医療の解体につながると、

ウンドー的に宣伝して、家族と専門職による、

そこには議員もマスコミも入れた、家族会主導型の、

トンデモ組織を作ったんだよ。

おれは徹底的に闘うよ。

自己批判しながら闘うよ。

 

いや、まったく、本当に、そうなんダよ、

本当に、そうなんダ。

自分には、仕手ほしくないことを

患者には

平気で、仕手シマウんダナ

それが、医療、だと、信じ込んでいる

 

笠医師の

セカンドゲンヤクハッタツダンヤク療法も、

そうなんですよ、、、、

乱暴、、、そのとうりなんですよ

余りに余りに、積極治療主義的ナンデスヨ

乱暴ダカラ、被害者も、出るンデスヨ

ついていけない患者がいたら、本人の頑張りが、

足りなかったことにスルンですよ

その点では

内海医師と本質的には変わらないし

ウンドーとして展開してしまうと云う

その点では

プシ共闘の医師達と、本質的には一緒なんですよ

 

アナタね、冷静になって考えてみると、

恐ろしい悪辣な精神医だよ。

アンマリ患者のこと、思ってないでしょ

エバッチはそう想うね。

ヒドイ話だ

本当に、酷いハナシだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014/2/22起稿 前進友の会 えばっちより

 

本人の了解のないままに、書いてしまった。

取りようにも、もはや、とりようもない、なかまたちである。

二十五年以上も前の、信州のトアル精神病院での出来事であった。

あの時の、あの病棟のなかまたちは、ドコに行ったのだろう。

ドコに、、、ドコに行けば、もう一度、逢えるのだろう、、、

ドコに行けば、、、、、もう一度、逢って話せるのだろう。

前進友の会の書記部にまずは、読んで貰い、了解してもらった。

全員が、入院ケイケンがアル。

患者会で、なかま、とともにいることから、出来得ることである。

この原稿には、入院していた病棟の図面を付録としてつけている。

これはホームページ企画部とえばっちで再構成したものである。

非常に助かった。

作成過程で記憶が、さらに鮮明になってきたことも事実である。

が、不確かなところもたくさんある、なんといっても、25年以上前のことである。

ナカマと共に図面も原稿も書き上げたと言っても過言ではない。

想い出すのは、とても、ツラカッタ。

入院していたころのことは、もう書きたくないと、想った。

 

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