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『嶋田和子』とは

ナンなのだ

嶋田和子の四罪

 

 

 

 

キーサンは己が生をかけて

笠、内海、嶋田和子の四悪四罪と闘い続け

クスリゼロ社会復帰成功宣伝ハッタツ障害

当事者達と闘い続ける

 

 

「ルポ 精神医療につながれる子供たち」

「精神医療の現実 処方薬依存からの再生の物語」

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セイチョウハッタツ四罪本の罪

壱之罪

大勢の、たくさんの、患者を、ソレは、処方薬依存デショと、斬って捨てた。凄いものである。惨い仕打ちである。

入院している三十万人以上の病者を含め、大多数のクスリを飲むしかなかった、飲むより仕様がなかった、飲まざるを得なかった、そういう精神病者患者、を、ソレは処方薬依存にスギナイノダと、斬って捨てたのである。ご丁寧にも、特にベンゾ系を飲んでいる患者は、特に依存症患者だ、と特筆して、この手のクスリを飲み続けている患者は、常時、酒を飲んでいるようなものだ、と、斬って捨ててシマッタ。たくさんの、病者が、現に飲んでいるし、飲まざるを得ないクスリである。しかも、断薬が、もっとも、ツライとも、言っている、なら、減薬も断薬も出来ない患者も出てくるだろうが、モチロン、ソレは当然ながら処方薬依存だからだ、と、斬って捨ててシマッタたのである。なら、たとえば、多くのベンゾ系を飲んで生活している患者は、常時酒を飲みながら、作業所に通い、デェイケアに参加し、ミシンや、電動のこや、車の運転や、包丁を使って料理をしていることになるのだが、、、、欠格条項を増やしたいのか、この著者は、、、、トスラ想うのである。

たかが、一行二行の書きぶりをあげつらっているわけではない。この考え方が、冷酷なまでのこの考えが、一冊目を含め、この著者の底流に流れ続けているから、モンダイにしているのである。そして、この底流に流れるものは、まさしく、内海の直系の弟子を意味しているのである。

しかも、依存症だと言いながら、この著者の依存症への眼差しは、余りに差別的侮蔑的であって、しかも、従来の、本当に酷い浅薄極まりのない、『依存症理解』の典型なのである。『依存症』をよく、分かっていないのであろう。分かってもイナい事を得々と、書いてシマッテいる。

精神病患者と言われ、精神病質者と、サイコパスと蔑まれ、処遇困難者だと閉じ込められ、ハツタツ障害だ、と、勝手に病名変更され、ついには、処方薬依存患者と、罵しり始めたのである。ノンラベルどころではない、我々を蔑み絶望の淵に追いやるために貼られるラベルが、また一つ、増えたのである。大きな罪である。

 

弐之罪

再生の物語という美辞麗句を連ねて、社会復帰路線を徹底的に美化推進している。

再生の物語と称して、社会復帰を、社会適応を、就職を就学を、復職を復学を、ひたすら健常者社会に適応することを、障害者エリート路線を、健病者路線を、再生の物語として、押し付けてくる。コレでは、マチガイなく、死人が、出るだろう。

ごかいの「よもだに生きる」の対極の姿である。

前進友の会の「働かない権利」の対極の姿である。

営々と積み上げてきたキーサン患者会文化の根幹の一つ「反社会復帰」を、「再生の物語」と云う美辞麗句で、叩き潰そうとしている。ソウはなれなかった者に、再生の物語と言いつのるのなら、その『再生』にシクジッテしまった、社会復帰を果たせなかった多くの病者に、更なる追い打ちとしての絶望をもたらすであろう。優しげな美辞麗句に隠された冷酷なまでの、エリート健病者路線を見よ。嶋田和子のさらに大きな罪である。笠は、何時から社会復帰推進者にナッタのか。選挙中のイマの政権や、世の中に、コレほどまでにも、迎合しなければならないのだろうか。

参之罪

以上の二つの罪をすべて、患者本人の頑張りに尽きると、

努力に尽きると、斬って捨てている。

一冊目二冊目を通して、通奏低音のように、響かせ続けている、この冷酷さは、特筆すべきものである。笠のように内海のように、言いきってシマッテいると、いって過言ではない。いや、余計に悪辣に、煽っている。それは、逆に言えば、患者本人のだらけかたに、患者本人の努力の足りなさに、患者本人の怠け癖に、患者本人のクルシサの原因として、ゲンヤクに取り組まないのはアンタの努力不足、デアルと、全てを、患者本人の頑張りと云うか、努力の足りなさ具合に、押し付けてしまった。モハヤ、減薬に取り組まない患者は、怠けものだからだ、と、言っているに等しい。

だから、イマこのようになってイルのも、自分自身のせいだ、と、徹底的に、本人の努力の無さに、押し付けてシマッテいる。これでは、大多数の精神病者達はタマラない。少数のエリート病者バンザイ路線である。冷酷なものである。益々、患者はやりきれない。精神医と精神病院にイビラレ続けた挙句、このようにして、ココでもまた、イビラレるのである。死者が出るであろう。コレはもはや、殺人である。嶋田和子の殺人的罪である。

 

肆之罪

それだけでは足りずに、

それだけでは飽き足りなかったから、なのか、

ハッタツ断薬療法の達成尺度と

セカンド減薬療法の成功度合いや

社会復帰の進捗度合いと

著者の言うトコロの

患者本人の人格とを

患者本人の品性とを

患者本人の人間としての成長とを

かさね絵として、影絵芝居として見せてしまう

と云うことを

ヤッテシマッタのである。

このことがナニを意味するのかおそらくは、

この著者嶋田和子は分かってはイナいのではないか想う。

とうとう、患者本人の人間的成長だの人格の完成だの、人間性だの、品性だの、人生の振り返りだの、とを、ハッタツ断薬療法の達成尺度やセカンド減薬療法の成功度合や、社会復帰の進捗度合や、社会復帰右肩上昇角度とを、影絵芝居のように、重ね合わせてしまった。ヤッテはならない事をやってしまった。笠の責任も、大きい。

これだと、クスリも抜けず、社会復帰も出来なかった、多くの多くの、病者が、人間的成長のないヤツラだと、いうことになってしまう。

死んでいった患者たちを棺から引きずり出して、鞭を打っていると、言って過言ではない。彼らは、彼女たちは、人間的成長も無く、死んでいった、とでも、言うのか。答えてミロ。嶋田和子よ。著者は、このコトの持つ意味を十分に理解して、書いたのだろうか。

どちらにせよ、この著者は、この重ね絵を、全てのハッタツ断薬療法セカンド減薬療法に、影絵として落とし込んでシマッテいるので、少しでも、この療法に取り組もうとする、患者たちに、却って、真において、更なる、累々たる屍を生み出すだろう。嶋田和子の罪は、極大に達している。しかも、己の罪に、マッタクの無自覚さをさらけ出している。ソウゾウを絶する極悪非道、狡猾極まりのない、最低のやり口である。

精神病者にどれほどの苦痛と絶望をまき散らせば、気が済むのであろうか。

精神病者患者に、どれほど絶望の淵に追い立てれば、気が済む、

と云う、のであろうか。

処方薬依存症からの再生の物語と云う美辞麗句を使いながら、

鞭を振るって、多くの患者を死の淵に、追い立てていくであろう。

絶望に追い立てるその鞭を、愛の鞭、だとでも、言う、のであろう、か。

嶋田和子の罪は、はかり知れない域に到達している。

そして、その愛の鞭を、受けたが故に、成長できました、と云う、当事者が

笠と、嶋田和子と、内海の、ファンクラブに、なるのである。

そのファンクラブの会報にしか過ぎない、そういう、シロモノなのである。

これは、ライターなる者が、書いたものとしては、あまりに、無様である。

 

これが、嶋田和子の四罪である。

今や、笠、嶋田、内海の三人は、精神病患者の死を、

精神病患者会の絶滅を望んでいる極悪非道の三罪人と、

言える、と、想う。

特に自分たちに逆らう患者の死を望んでいると、

しかも、強く、死を望んでいると、そう想う。

自殺させたいのか、と、そう想う。

この点では、従来の

見えやすいアクジのハンニンどもにも

見えにくいアクジのハンニンどもにも

匹敵する

極悪非道の精神病患者の生き血を啜る者達である

と言って、過言ではない。

これは、

減薬圧力でも、

断薬圧力でも、

社会復帰圧力でも、

モハヤない、

これは、もはや、

自殺圧力である。

患者を、自殺に追い込むために、やっているのである。

とうとう、ココマで、来て、シマッタ

そう、それでも、オレは、功罪の巧もアッタのだ、と、言おう

確かに、

誤診や誤処方と、闘っていたのダカラ、最初の四、五年は。

でも、ソレが、コウマデに、羽化してシマッタ

何故だか、分かるか、笠陽一郎よ。

この嶋田和子の羽化の責任を、取るべきだ。

 

見えやすいアクジのハンニンどもに

オレたちは、毒グスリと電気パチで殺されてきた

見えにくいアクジのハンニンどもに

オレたちは、社会復帰圧力で殺されてきた

こんどは、こんなクソたわけた嶋田和子をはじめとする

すり替えアクジのハンニンどもに

オレたちは、人間的成長もないグズどもだ、と、罵しられて

処方薬依存からの再生の物語ナンゾと云う美辞の下

精神医療を根底的に破壊すると云う麗句の下

精神医療改革運動のためにならないと云う美辞の下

せっかくやりはじめた患者さん達をブレさせると云う麗句の下

クスリを飲まざるを得ない患者たちは

更なる絶望圧力と自殺圧力で、殺されることに為る、のである

 

嶋田和子、オマエ、

とんでもないことをヤッちマッタんだぞ

ワカッテイルのか、このダワ坊が

ハッタツ断薬療法と

笠リロンに

セカンド減薬療法に

その成功度合いに

その失敗度合いに

患者の人間性を

患者本人の人間性を

絡めこんでシマッタ

絡めてシマッタ

これは、患者内に

減薬の成功度

断薬の成功度

に応じた

差別とヒエラルキー

を生むだろう

自殺に追い込まれる患者が出てくるだろう

それは、ヤッチャいけないことだったんだよ

ナンニもわかっちゃいないヤツが

良いように言いながら

ヤッチャいけないことを

ヤッてシマッタ

ソレはヤッチャいけなかったんだよ

ソレダケは、、、

オマエには分からないのだろう

 

有り体に言って一冊目はアホすぎるで、済んだ、

実は、スマされはしないのだが

それでも、

アホ差加減が、まさっていたと言うべきか

だが、この二冊目は、アホだナァーでは、モハヤ、済まない

つまり、より悪辣さを

より、悪度さを増している

としか言えないモノがある

 

内海聡を匿名批判しながら

内実は、心根は、

まったく、内海と、一緒ナノである

精神病ナンゾは無いのだ

アルのは、ただただ、依存症患者だ

処方薬の依存症患者だけなのだ

しかも、そうなったのは、本人のセキニンだ

本人が為ったノダ

だから、依存症の治療を受けろ

と云う

わけなのである

これは、本当に

悪辣きわまりのない、すり替えである

アルのは本当に処方薬依存症の患者ダケなのか

常用量依存の患者ダケなのか

オマエなにを言いさらすのや

 

昨年、友の会は、老齢のクスリを飲むしかなかったなかまの、

死を、二人もむかえた。

もう一人は、まだ若くして、癌で死んでいった

カンジャ会ナカマの古い古いナカマが二人も

自ら死んでいった。

みんな、クスリを飲むしか、なかったんだよ

それでも、

精神病なんてモノは無い

躁鬱病なんてモノは無い

だらけきった精神病患者達は、だらけきっているが故の

依存症患者だと

言い切り

アルのは

処方薬依存の患者ダケなのだ

と云う

再生の物語を語れないのは

本人がだらけきっているからだ

と云う

この腐った著者のこの言いぶりは

ジブンだけは、上に立って

患者を見下ろしながら、

患者を勝ち組と負け組とに決定的に分別しつつ

キチガイを

精神病者を

精神病患者を

死んでいったナカマたちを

これでもかこれでもか、と

鞭を打ちながら、

愚弄している

そう我々の生そのものを愚弄している

モハヤ、度を超している

ここまでくると、もはや、笠を越えているカモシレナイ

いや、笠批判が余りに激しいので

笠を使い回し使いツブシといて

もっと世間受けしそうな神田橋とか

云うヨウな、精神医に、も、乗っかろうとしているのか

でも、結局は笠リロンの宣伝なのではあるが

それにしても、

やけに、悪辣さを増している

というか、

そう、狡猾な、イヤに狡猾な本に仕上がっている

だから、電気ショックのことまで取り上げてはいるが、

友の会編のあの本のことまで出ているが

電気ショックを受けさせられた患者のことではなく

笠と黒川さんと云う

医者の原稿を紹介するのである

しかも、その狡猾さは、『批判逃れ』、トシカ言いようのない

箇所が散りばめられているコトである

批判逃れとしか想えないのは、

底流に流れるものが、クスリを飲む患者を

バカにし続けてイルから、である。

あまりに冷たいとしか、言いようがない、箇所が多い

あまりに、差別的であるとしか、言いようのない、箇所が多い

それを、しかも、患者さん九人に語らせ、

ジブンは頬かむりをシテイルのである

実に悪辣非道、極悪非道のやり口である

一冊目に対する批判から、学んだと云うことか。

しかし、それは、かえってオマエのライターとしての

浅はかさを赤裸々にしている。

 

底まで狡猾でありながら

この著者嶋田和子は、

この本で、ナニをヤッチマッタカ

分かっていないようである。

このクソタワケなライターが

処方薬依存からの再生の物語として

ヤッテはならないことを

ヤッテしまっている

そして、それは、えばっちに

もはや、ハッタツ障害概念ではなく

ハッタツ障害者との対決を

決断させてシマッたのだ。

嶋田和子自身はおそらく、おのれが、ヤッチまったことを

自覚はしていないであろう。

もし、自覚していて、ヤッちまったのなら、

なら、、、、、

なら、、、

なら、

 

ハッタツ断薬療法と

セカンド減薬療法の

社会復帰の

成功度合いと

著者の言うトコロの

患者本人の人格とを

患者本人の人格の成長とを

かさね絵として、見せてしまう

と云う

ことを

ヤッテシマッタのである。

 

ハッタツ断薬療法とセカンド減薬療法のうまくいきグアイと

患者本人のガンバリに尽きると

ということだけでは

飽き足りずに

そこで止めておくことが、出来なかった

だから

著者の言う

患者自身の人格、人生の成長

と云う

コトとを

重ねた影絵芝居にして

見せつけてシマッタのである。

 

減薬と断薬のうまくいきグアイと

社会復帰のうまくいきグアイと

そもそも、が、二重に逆転屈折している考え方なのだが

笠リロンとの適合度を

患者自身の人格成長角度とを

重ね絵にして、まるで陳腐な決まりの社会復帰美談の

影絵芝居に仕手見せてシマッタ

 

減薬や断薬や社会復帰のうまくいきグアイを

就職復職右肩上がり上昇角度とを

患者自身の人生の成長の

影絵芝居として

見せツケテシマッタのである

これでは、苦しみ抜いた精神病患者を

更に絶望の淵に追い込んで

自殺させることになるだろう

 

ある特殊な過激ともいえる治療法に

患者側が適合するか否かが

患者の人間成長力と

イコールでアルと

ヤッテしまったのである

二重に屈折したこの影絵芝居は

とてつもなく、精神病患者を

拷問し続けるだろう

モハヤ

セカンド減薬療法なのではない

ハッタツ断薬療法なのでもない

コレハ

クスリゼロ成長圧力療法か

クスリゼロハッタツ就職圧力療法に

それとも

自殺圧力クスリゼロ社会復帰美談療法

ナンテモノに

ナツテシマッタのである

 

これでは、キーサンは

精神病患者は

黙ってはおれない

 

心のソコカラの怒りを憶える

 

嶋田和子よ

おのれは

ナニをヤッテしまったのか

本当にワカッテイルノカ

 

これが、ナニをもたらすか、

このクソタワケた著者嶋田和子は

わかっては、いないだろう、おそらくは、、、

もし、もし、

ワカッテイテ、ヤッタのなら、なら、のなら、、、

 この程度のライターがヤリソウナことではある

のだが、、、、

だが、少なくとも

そう

少なくとも、モハヤ

この影絵芝居の役者達九人と

えばっちと云うキーサン病者は

おのが人生を掛けて

おのが生存を掛けて

対決することになるのである

 

しかし、コトは、ソレだけでは、済むまい

おそろしいことになった

オレは、虞を感じている

 

ああ、もちろん、この著者嶋田和子と

内海と笠

と云う

クソたわけたモノ達

この影絵芝居の脚本家演出家達と

えばっちと云うキーサン病者は

おのが人生を掛けて

対決することになるのである

アタリマエだ

嶋田和子と内海聡は

ここまで、の、羽化を、シテシマッタ

笠よ

笠よ

笠陽一郎よ

こういう腐りきった

差別者

虐待者

を産んでしまったのは

オマエなんだぞ、ワカッテイルノカ

羽化させキッテシマッタな

 

我々を蔑すむためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た

我々、キチガイを落チ込ませるためのコトバが、

またひとつ、この世に、生まれた出た

我々を見下すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを陥れるためのコトバが、またひとつ、この世に、生まれた出た我々を侮蔑するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイをますます、惨めにするためのコトバが、

またひとつ、この世に、生まれた出た

我々をクルシめるコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た

我々、キチガイを、地獄の底に蹴り落とすためのコトバが、

またひとつ、この世に、生まれた出た

我々を殺すためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイを競争へと追い立てるためのコトバが、

またひとつ、この世に、生まれた出た

我々を差別するためのコトバが、また一つ、この世に、生まれ出た
我々、キチガイの生をますます、無かったコトにするためのコトバが、

またひとつ、この世に、生まれた出た

そのために、使われるであろう、本が、また一つ、出版された

まだまだ、キチガイを、精神病患者を、

苦しめ足りない、殺したりないと云うわけか。

そうか、そうか、そうなのか

 

再生の物語、それは、ヨカッタ

クスリゼロの物語、それは、ヨカッタ

誤診誤処方からの再生の物語、それは、ヨカッタ

処方薬依存からの再生の物語、それは、ヨカッタ

それは、ヨカッタ、ですね、と云う、ダケのことなのだ

だが

モハヤ、それではすまぬ

しかし、もはや、それは、ヨカッタですね、では、

すまなくなってきたのである。

断薬が、人を成長させるノダ

断薬こそが、精神医療の被害から立ち直り

自己を見直し、人生を振り返り、

人間を成長させることが出来るのノダ

と云う

この本の主張には、怒りを、感じざるを得ない

だったら、クスリを飲み続けるしかなかったし、

クスリを飲み続けることを選ばざるを得ない

そんな、キチガイに

精神病患者に

病者に

この著者は

想像を絶するほどの冷酷さを持って

クスリゼロ圧力

社会復帰圧力

絶望と共に、更なる屍を積み上げながら、押し付けてくる

ドンナ美辞麗句を散りばめようと

クスリを飲んでいる患者には、人間としての成長ナんゾ

あり得ないと

匕首を突きつけてくるのである

これは、差別どころではない

これは、差別を超えた、我々キーサンへの

精神病患者への悪辣極まりない、攻撃である。

自殺圧力、

と云う、

絶望圧力、

と云う、

おそるべき虐待行動なのである

ソレが精神医療の真実とは、恐れ入りました

本当に恐れ入った

 

再生の物語とは、

右肩上がりの人生物語なのであり

本人の努力礼賛の物語であり、

社会適応万歳の物語であり、

それは、社会復帰美談の物語として

仕事ができるようになりました、と云う美談を

我々は、散々に、幾重にも幾重にも、何度も何度も、

再度も再度も再再度もの

何年も十年も

聞かされてきた物語なのである。

聞かされ続けて来て

飽き飽きシタ、ウンザリしているのである

世の中とは、何故に、コンナにも、再生の物語を

我々、キーサンにこれでもかこれでもか、と押し付けてくるのであろうか

そんなに社会復帰就職就学美談が、お好きなんカイヤ

全精連も全家連もベテルもコンボもゼンセイシャキョウも

きょうされんも、NHKも、学会もクリニックも、

日精協も、日精診も、日精看も、

ありとあらゆるトコロが

再生の物語を語り、

我々を、散々に、苦しめ抜いてきた

そして、我々を、殺してきた

ソンナもん、健病者の社会復帰美談に過ぎない

モンなんだよ

ソレが精神医療の真実だとは、

腰が抜けて、マタモや、酷いぎっくり腰になりそうだ

いやはや、それにしても、

また、新たな、新たに、の

セカンド減薬療法

ハッタツ断薬療法をつコウタ

再生の物語の社会復帰美談の誕生である

笠陽一郎医師と、

くじら会の母親たちと、ハッタツ障害者達と

内海聡医師と、そして、嶋田和子が、

この新たな社会復帰美談の

再生の物語の語り手、として、

精神病患者への、更なる社会適応のための

努力を強いる、のである。

特に

笠陽一郎、嶋田和子、内海聡

の三者は

減薬も断薬も、本人の頑張りにつきる

と云う

本人が、あきらめたから、こうなのだ、

と云う

人間的成長もない

と云う

悪辣極まりのないな自己責任論の毒を

まき散らすだろう

よくもまぁ、それで、精神医療を根底的に否定できると、見得をきれるものだ

しかも

ハッタツ障害は、自分の方から望んで

来る、と云う、コトだ。

精神病では、在り得ないコトである。

ジブンから進んで、ヒトにも勧めて、

ハツタツに為りに行くノデある

これじゃあ、

精神科は、心理は、減っては行かない

ドンドン増大して、世の中全体を

精神科化し、心理化し、ハツタツ障害化していくだろう

患者さんは、十倍になるであろう。

ジブンから、来るンやから

だから、この本の成り立ちも、そうなのである

このライターは、ルポルタージュの、もしくは、

ドキュメンタリーのライターとは、

もはや言えない

ブログと云う網を張っておいて、

自ら、データーを持って

著者のブログに来る患者さん達を

拾い集め

自分に都合のいい、患者だけを

都合のいいように、紹介している。

もしくは、笠のセカンドに来る相談の親や患者さんを笠から紹介してもらって

そこからも、自分の都合のいい親と患者を

拾い集めるわけである

笠からの紹介で

自分のブログに紹介し

さらにまた本にも紹介という

又又紹介というわけである

これが、取材というのなら、

笠と嶋田のセカンド良いコトダケヤラセのリサイクルと言っても

過言ではない

こんなのが、ライターと言えるのか

こんなのは、

自分の信念に従って、自分の良心に従って、

取材して、足でかせいで、ルポを書いていくという、

のとは、チガウ

そういうライターではないことを、

この2作目は、

はしなくも、赤裸々にしてしまった。

ライターとして、情けない限りである

しかも、

どんな中身でもいいので、自分が有名になり、

そして、ライターとして成功し、

批判をかわすことが出来れば、どんなことでも書くという、

どんなことでもコラムとして追記しておく、注として、散りばめておく、

外国語文献も、盛り込んでおこう

というような、手合いなのである。

狡猾スギル。物書きとしては最低である。

オレたちの批判に、あるいは、笠批判に、ナントカ対応したくて、

仕様がなかったのか

このライターは、自分のライターとしての誇りを持っていない、

と言わざるを得ない。

ナサケナい2作目である。

 

繰り返し繰り返し、何度でも、

言うのだが、

最大のモンダイは

この手の再生の物語に、

なかなか、なれなかった

毀れ落ちてしまった

漏れ落ちてしまった

我々キチガイの、大多数なのである。

この再生の物語に、

落ちこぼれた

精神病者たちは

精神障害者達は

どう、生きていくのか、ということなのである。

再生の物語に落ちこぼれる人間は、

いる

だろう、

チガウか

必ず、いるのだ、

ちがうか、チガウのか

そのういうニンゲンでしかないニンゲンたちに向かって

きさま、嶋田和子、おのれは、

オマエは、

人間的成長なんぞは無い

人生を振り返ることも出来ぬ

と、斬って捨てやがった

そうは、なりたかったが、余りに苦しくて、そうはなれなかった

そうなりたかったが、

そうなるための条件も

経済的余裕も、家族も、生活環境も、

イロンな状況も恵まれなかった

そういう、圧倒的に、数も多いであろう、

そして、クルシミも、深いであろう

クスリを飲むしかナカッタ

クスリを飲まざるを得なかった

クスリが抜けなかった

そういう精神病患者を

そういうキチガイの生ソノモノを

この本は、優しいコトバをちりばめながら

落ちこぼれた、キチガイを

最大限、罵倒し、蔑すんで、せせら笑っている

人間的に成長できないヤツラだと、せせら笑って

絶望に、追い込もうとしている

アナタの頑張り次第で、こうなれるんですよ、

と、最大限、煽り立てながら

こうなれないのは、

アナタが、サボったからなんですよ、と、

侮蔑して侮辱して

煽って煽って煽り抜いて

死人を生むだろう

キチガイの生を笑い蔑すみながら、である。

だから、

われわれキチガイは、死ね、と、言われて、イルのである。

成長のないお前らは、死ぬしかねない、と、想い込ませられるだろう

ハッタツは、働け、と、言われるのである。

我々キチガイは、ダイレクトに死ね、と、言われるのである

ハッタツは、クスリを抜いて、就職就学を強制されるだろう

そして、その強制矯正労働は、我々キチガイの側にも、浸透して来るであろう

迷惑なハナシである

「クスリを抜いて労働こそが、自由への道」

と、精神科系、の綺麗な優しげなクリニックに掲げられることであろう。

「クスリを抜いて労働こそが、自由への道」
と、福祉系、の綺麗な優しげなカタカナ名前の作業所に

掲げられることであろう。

「クスリを抜いて当事者研究こそが、自由への道」
と、ベテル系、の綺麗な優しげなカタカナ名前のディケアに

掲げられることであろう。

そこで、活躍するのが「当事者スタッフ」と云う在り方なのである。

「当事者ライター」「当事者学者」

「当事者看護婦」「当事者精神医」「当事者看護士」

「当事者審議委員」「当事者検討委員」「当事者国会議員秘書」

「当事者司法官」「当事者軍人」「当事者行政官」

「当事者研究」をスル「当事者研究者」

と云う、わけなのだ

ハッタツ障害者はそういう『当事者ナントカ者』になりやすいだろう

断薬に成功したならば、資格を取って、早速に当事者看護婦になるのである

看護婦に為ったからといって、外科や内科にはいかない

当事者出身だからと、良い看護が出来るハズと言って、言われて

思い込んで、ジブンでもソウ宣伝しながら

精神科に、来るのでアル

なぜなら、健病者ダカラ

なぜなら、社会復帰的ダカラ

なぜなら、体制翼賛的ダカラ

エロウになりたいんでしょうナ
そしてそれが、精神医療を改革する、もっとも、革新的な在り方として

もてはやされていくだろう。

そこで、忘れられていくのは、

入院患者本人だったり、

精神病院の開放化だったり

四肢拘束だったり、電気ショックだったり、

看護士や医者のむき出しの暴力だったり、

30万人を超える入院患者だったり、するのだ、高齢のね

そして、キーサンの「生命の底で居直る」生きざまを

なんとか、

障害者エリートの

建病者の

ハッタツ障害者の

上昇志向と社会復帰路線とに

『すり替え』

てしまいたいと、狙いすましながら、

精神病患者会の文化を、根こそぎ、破壊するのだ

 

処方薬依存からの再生物語

ダト

言うのなら

クスリを飲まざるを得ない

飲まざるを得なかった

ムリヤリ飲まされて

なかなか抜け出られない

そして、今後も

飲み続けるしかないであろう

圧倒的多数のクスリを飲まざるを得ない

精神病患者に

アレラは処方薬依存ダ

成長もない

人生を振り返ることも出来ない

と云う

レッテルを貼るんだな

そうしておいて

アレラは、自己責任ナンデス、よ

斬って捨てるのだな

よーーうに、ワカッタ

よーーーうに、ワカッタよ

これ以上に、ないくらい、ワカッタ

 

これは、クスリを飲んでる精神病患者に

決定的な絶望と、死を

もたらすであろう

 

ひとつ、ここらで、例え話をしてみよう

精神病患者を糖尿病患者に置き換えてみるのである

ここに糖尿病でクルシンでいる患者さんがいる

クスリを飲みながら病気と闘っている

もちろん、生活習慣の改善は、大事であろう

モチロンだ

体重を減らし、甘いものを控え、適度な運動をしなければ

と云うわけだ

しかし、なかなか、そううまく、生活習慣を変えられない

そして、糖尿病の重さや原因にもよるだろうが、

いきおい、クスリを飲むことに為る

モチロン糖尿病のクスリにも副作用があり、身体には良くないだろう

そこで、オマエのようなライターの登場だ

糖尿病治療を五年間取材してきましたからと

やおら、その糖尿病で苦しんでいる患者さんに

適度な運動もせず、減量も出来ないで、悩んでいる患者さんに向かって

糖尿病のクスリに依存しているからソウナルのだ

減量の努力が足りないからだと、やり始め

それどころか、ナント、患者本人のニンゲン的成長といった

事まで、持ち出してきて、

減量努力の無い糖尿病患者に

人間的成長も無い

とまで、やりだしたのである。

ソリャア、人生、イロイロたいへんなことが、いっぱい有るんだよ

ナカナカ体重減らせないよ

ソンナことも分からずに

この著者は

そうやって、本を二冊書いて、糖尿病医療のモンダイ性や

その社会的背景よりも

患者本人の減量努力の足りなさの方を

ヨリ派手に追及しだしたのである

ライターも医者も看護婦も、である

糖尿病治療のセカンド診断、として、

患者本人の減量努力と体重と人間的成長とを

重ね合わせて語り始め

従来の糖尿病医療を根本的に破壊する

と言い出したのである

糖尿病などというものは無い

アルのは、減量努力の足りない

食欲の抑えられない糖分摂取過剰依存症にシカ過ぎないのだ

と言い出したのである

もしくは、糖尿病治療薬依存症のママ

減量努力の無い患者は、人生を振り返ることも出来ぬ

と言いだしたのである

例えばのハナシである

コレは許されるようなコトだろうか

内科では、許されないだろう

もっと、深長に慎重に丁寧に、やっていくだろう

でも、精神科領域では、コウヤッテ、ヤッテしまえるのである

チガイはナニか

糖尿病と精神病との疾病のチガイなのか

おそらく、ソウではない

そう、おそらく、ソレは

糖尿病患者と精神病患者という

患者のチガイなのだ

「罪を憎んでヒトを憎まず」

ナノデは無い

「罪を憎まずヒトを憎む」

にチカイのである

「病気を憎んで患者は憎まず」

ナノデは無い

「病気を憎まず患者を憎む」

ナノデある

ああ、もちろん、モチロン

「病気も憎んで患者も憎む」

が、より、チカイであろうが

この著者が、ドコに立っているかは、明明白白だと、想う

内科と精神科の患者に対する、この冷酷なまでのチガイは

何処からくるのか

それは、医療全体が、社会全体が、

この著者嶋田和子が

精神病患者を、下に見ているからなのである

冷酷なまでに、冷徹に、下に見ているからなのである

では何故、ココにココまで、こだわるのか

この程度の見識で

たかだか、五年で

二冊も本を出版できてしまう、

ココに、三流のライター為る者が、

美味い汁を見つけた

と云う

ことなのである

しかも、ネタは、向こうの方からデーターとともに来るのである

たいした取材もせずに、書けてしまうのである

 

最初っから精神科のクスリを飲んでるヤツはいない。

嶋田和子よ、オマエが、処方薬依存だと斬って捨てるのなら、

その、依存症にしたものとはなんだったんだ。

オマエの書いてることは、

笠やオマエや内海が言うトコロの依存症なるものに

させた、させてシマッタ

社会的背景を徹底的に免責し

依存症になったと、オマエが、揶揄する患者の努力の足りなさを

責めるものになっている。

ちがうか。

しかも、その社会的背景を、精神科医か精神病院という医療に限定している

いや、それよりも、もっと限定している、クスリに、限定している。

ここまでくると、モハヤ、社会的背景を免責していると、言って

世間様におもねっていると、言って

過言ではない

えばっちも、製薬会社も含め、精神科医には、精神病院には

クスリにも、注射にも、恨み骨髄である。

徹底的に、ヤッタラいい

でも、そこだけに社会的背景を限定するオマエの書き方には、

いやらしさを感じる。

オマエ、ライターとはソンダケのもんなんか

オマエ、ライターを名乗ってるんなら、

もう少し深い社会的背景をちゃんと見ろ

もう少し、患者により添え

オマエの文章からは、嫌らしさと、

患者に対する冷たさ

特にクスリを飲んでいる患者への冷酷さしか感じないぞ、

ナニ書いてても

オマエ、それ、分かってナイヤロ

 

オマエの腐った三段跳びとはこのこった

社会的背景は無視と免責でホップ

精神医と精神病院の罪をソレナリに言い立ててステップ

最後は

患者本人の努力の足りなさと

患者本人のがんばりの足りなさ

結果として患者本人の成長の無さ

にすべての罪をおっかぶせて、ジャンプ

これぞオマエの作った三段跳びだよ。

一作目と二作目の違いは

ステップのところを批判をかわす為としか、想えんが、

少し多めに書いたということだろう。

注と外国文献を散りばめたということだろう

美辞麗句で飾り立て、ながら、な

それがオマエのライターとしての見識か、

オマエの問題意識のありどころというか、無さどころというか、

病者患者に対する冷たさが分かってしまうもんで

だっから、オマエの本読むと

大概の病者はナンダカ気分が悪くナルと、感じてシマウんだよ

 

そして、本当に極悪非道なことをヤッテしまった

嶋田和子、オマエ、

とんでもないことをヤッチマッタんだぞ

ワカッテイルのか、このタワケ者

笠リロンの適合具合に

ハッタツ断薬療法と

セカンド減薬療法に

その成功度合いに

その失敗度合いに

社会復帰上昇角度に

患者の人間性を

患者本人の人間性を

絡めこんでシマッタ

絡めてシマッタ

影絵芝居に仕立ててシマッタ

これは、患者内に

減薬の成功度

断薬の成功度

社会復帰の成功度

上昇志向の性向度

患者の側の笠リロンへの適合度

に応じた

差別とヒエラルキー

を生むだろう

 

だからな、オマエケースを九つ集めたらしいが

それで、良いように言っているんだろうが、

九つとも再生の物語なんかいや

ちょうど1年前の今頃やったか

確か11月に2回笠と電話で話した

そのなかで、笠はハッキリ言いよったんや

1万から1万2千セカンドした、それでクスリゼロになったのは、

千から2千や2千人は越えない、と、ハッキリとそう言うたよ

嘘やと思うか

本人に確認してみたらいいんやで

だとしたらよ、嶋田和子カマエよ、

ケース1から9までクスリがゼロになった人は、一人か二人のはずだよ、な

オイオイ、お前にとってはケースが9例なんだろうが、

えばっちにとっては9人の患者さんや

そうすると、9人の患者さんのうち、1人か2人がクスリゼロになって、

あとの7人か8人の患者さんはクスリがゼロにならないまま

クスリを飲み続ける患者のまんま

お前の言う処方薬依存からの再生の物語に、

どうやってなったんだ

不思議でかなわんぞ

だって、笠の実践そのままの宣伝なら、そうなるだろ

ところが、9人全員が、苦しみぬいたけどクスリゼロになって、

処方薬依存からの再生の物語を語っているのなら、

おいおいそれは、笠陽一郎をはるかに超えたなあ、すげえなあ

お前のブログに相談すれば9人が9人とも再生の物語を物語ながら

右肩人生を歩めるのかね

そりゃすげえや、と云うコトになる

だからな、そういう本の書き方だと

しかも、患者の人間性をからめられてしまうと、

ワシらキチガイはな

ワシら落ちこぼれ人生のキチガイはな

そういう本の書き方だと、

こうなるんや、分かったか

 

どんな美辞麗句を語ろうと
この本の著者嶋田和子はモハヤ
『人間的成長』

『人間性』

『人格』

をとうして、
キーサンとハッタツ断薬成功者
との全面対決を
煽っている

お前自身があまりに浅い

ナンニもわかっちゃいない
五年ほど精神医療にかかわったので
こうまで、書ける
と思ったのだな
酷いモンダ
クスリも飲まず、精神病院にも入ったことのない
五年ほど精神医利用に精神医療に関わりましたと
そう言うライターなる者が
患者本人の人間性と
ハッタツ断薬療法の成功とを

あまりに安易に重ね合わせてしまった

影絵芝居のように、見せてシマッタ

この意味を、おそらく、嶋田和子は、

浅すぎて

浅薄すぎて

分かりもしないだろう

オマエの言っていることは、書いていることは、

最終的には

我々キチガイの生きる道は

クスリゼロを目指し

そして、そうなったことを

宣伝して回っている

ハッタツ障害者と闘わねば、為らないのだ、な、

と覚悟を迫ってきている

 

ハッタツ障害概念と闘うのではモハヤない

或いは、腐ったライターや

腐りきったフリー精神医為る者達と

闘いながら、

クスリゼロになり、こうすれば、ワタシのようになれるんですよ、

と、宣伝の御先棒を担っている

ハッタツ障害者と

闘わね

為らないのだ

 

そう、この本の九人の

ハッタツ障害者断薬成功社会復帰バンザイ者達

との対決である。

もちろん、このなかの一人はチガウかもしれない。

そう、この人は、こんな風にこの本で取り上げられて、

不本意かもしれない、だって、本人の了解決断の下にやると、

結局クスリはゼロになりませんよと、

本人の意向の尊重はワルいコトだと云う、例として、

取り上げられているからである。酷いハナシだ。

退薬症状なのか、クスリの副作用なのかと云う、

本人に向けて医療論争シカケル前に、医者同志で医療論争ヤル前に

本人が、コウコウコウで、クルシイと、言っていることに、

寄り添ってミタラどうなのか、と、想う。

本人がこうまでクルシイと言っているにも拘わらず

笠も自称ライターのオマエも、それは、クスリの副作用ですと、

言いつのって本人をクルシメている。

タマラない。

しかも、本人の意向に沿うと、コンナもんですよ、と、

本人が、言う事を、信用しないヨウにシヨウと云う、態度を取っている

そして、ソレを、良いように、言っている

医療的に、退薬症状なのか副作用なのか

どちらが、真ナノカ、精神科診断的には論争は、アルだろう、

しかし、その前に、本人のクルシイと云う声に、

寄り添ってミタラどうなのか、と、想う

ちなみに、どちらかは、ワカラナイと云う、コトだってアルのでは、と想う

今、ココの厳然たるシンジツは患者本人がクルシイと、

叫んで訴えていることなのである

ソコに寄り添わず、笠も嶋田もソレは、副作用ダ、と言って

本人を責めるのである

オマイ等オカシイやろ、医療としても、崩壊してる

ナンと為れば、本人が、笠と嶋田を、信頼シテいないからである

患者が、精神医を信頼していないのなら、

ソレは、従前の精神科医療の構造、そのマンマではないのか

 

そして、どういうわけか、この本に看護婦は三人も登場する

看護婦として社会復帰して精神科でシゴトするのなら、

遠慮なく言わせてもらおう

このなかの一人の看護婦は

ソウゾウを絶する

とんでもない障害者エリート風を吹かす

当事者出身の腐りきった看護婦になるカモシレナイ

クスリゼロ者として国家刺客取得者として

半端者センセイ五職社会復帰成功者の典型例となり

そのことを得々と、語っている

実に成功者の差別的態度そのものなのである。

なんでこんなに看護婦が多いのか、全部で三人である

そのうちのもう一人は看護婦の職場で発病したようである

確かにクスリも酷い

しかし、やはり、クスリゼロにして、

看護婦として再度働きはじめ母親としても立派だという、

そういう物語になるのであるが、

しかも、この看護婦の母親との母娘密着を

心理的に妙に強く問題視しているのであるが、

ここでちょっと待てとえばっちは想うのである

そもそもの大問題は職場にあったのではないか

職場での看護婦としての働かさせられように最大のモンダイがアルので、

あって、そこをまったく無視免責して

セカンド成功の

クスリゼロ者の社会復帰美談になってユクのである

職場環境と家庭環境に原因がありながら

クスリゼロに苦労の末に為ったとして、同じトコへ職場復帰家庭復帰したなら

再発は、しないのか

最後にでてくるもう一人の看護婦は、

なんだか、我々キチガイとは全く、無縁のように感じられるのだが、

ツマリ、精神病でもハッタツ障害でも、ナンデも無い健常者が

全く無用のクスリを飲まされてしまい、苦労の末、クスリゼロになって

社会復帰できました、と云う物語だが、

ソモソモ健常者ダロウ、

なので、あって

この物語を、精神病患者に言われても、

ナンノコトカシランに為ってしまうのだが

それでも、なんというか、

最初の方にでてきた看護婦とともに、

この本の最終結論

ツマリはクスリゼロ者の国家資格取得成功者の

半端者センセイ五職のうち

医療食福祉食を選んだという

だもんで、とくに、世間様に役立つ

人間的成長溢れる人格者ということになるのである

われわれキーサンとはなんたるチガイか

それは、チガッて当たり前とも、言えるのだが

それにしても、コレは

恐ろしいことナノである

闘うしかない、と、そう想うのである

この本の存在は、えばっちに、その覚悟を迫っている

当事者出身の看護婦こそ

我々をコロス側に為るのである

しかも、努力と勤勉によって、ついにクスリゼロを成し遂げた

人間的成長溢れる人格者ナノダから

そう、歴史を見てみよ

差別され虐待されてきた側が

努力と勤勉の挙句に

成功者になった場合に

差別虐待する側に、ドレダケ都合のよい

奉仕者として働くことに為ってきたのか

為るコトに為ってシマウのか

だからこそ

ソウは、為らなかった者たちに

残されている道は、闘うしかないことを、

この本の存在は、決断を迫っている

さもないと、殺されてしまうから、

絶望を、今以上の絶望をまき散らされて

更なる絶望の淵に追い込まれて

殺されてしまうからである

分からなかった、とは言わせない

この本は

その激突を煽っている、のだから

その絶望を煽っている、のだから

この著者は

その激突を煽っている、のだから

アコギなハナシである

 

ハッタツ障害概念を根底的に否定し

クスリゼロ社会復帰成功ハッタツ障害者と

クスリゼロ社会復帰成功ハッタツ障害モノと

全面的に対決する

その

覚悟を

この本は迫っている

だから、

キーサンは、己が生命をかけて

クスリゼロ社会復帰成功宣伝ハッタツ障害者達との

闘いを目指して、闘いながら、闘うしかなく、生き抜くのである

キーサンは己が生をかけて

笠、内海、嶋田和子の四悪四罪と闘い続け

クスリゼロ社会復帰成功宣伝ハッタツ障害

当事者達と闘い続ける

しかないのである

 

しかしながら、

ソレは、コレまで、キーサン患者会が

やり続けてきたこと、と、同じことだ、とも言えると、想う

全くオンナジだ

なぜなら、これまでも、

社会復帰美談を言いたてる

見えにくいアクジに加担し続けてきた

当事者看板型お利口さんの

健病者とは、

徹底的に闘ってきたのだから

だから、キーサンは、まったく、かわらなかった

と云う

ダケのコトなのである

あいも、かわらずに、同じことを

叫び続けているだけ、なのである

 

ダカラ、この際、

嶋田和子よ、きさまに、言っておいてやろう

お前の言う成長なんぞは

したくもない

それが、キーサンの生きる道である

お前の言う

人生の振り返りなんぞ

したくもない

アホらしい

 

我々は、我々独自で

生き方を模索し、人生を生き抜いてきた

三度の飯を喰い、大便をし、ニクマン地獄の中で

精神病院の五点張りと

看護士と精神医の殴り地獄から、生還してきた

なかまを観察法から救い出しもしてきた

オマエなんぞが、クスリのことを言いだす遥か以前から

精神病院の

電パチ

電気ショック漬け

クスリ漬け

ベットへの縛り付け

保護室漬け

看護士の暴力支配と

闘い抜いてきたのだ

今もシビアーに闘い抜いている

しかも、笠、オマエ、内海というすり替えアクジのヤツラと

新たに、闘うハメにも、陥っている

オマエタチがいかに絶望のタネをばら撒こうと

この地で、しぶとく、オレたちは、生き抜くであろう

なかまたちと共にである

それが、キーサンの人生を生き抜く

「生命の底で居直る」

と云うことなのである

我々はもうすぐ四十周年を迎える

いや、友の会としての前史もあるので、

実質的には四十年をこえているだろう

 

オマエのような糞戯けに、

精神病患者の

人生を

語ってはもらいたくは、なかった

 

我々キチガイは

徹底的に精神医と精神病院に

バカにされ殺され続けてきた

今度は、コンな腐ったライターと称する者にまで

バカにされ絶望に追い込まれなければならないのだろうか

もはや

モハヤ、コレは

すり替えアクジのハンニン達による

社会復帰圧力や断薬減薬圧力ナンテものではない

まさしくコレは

すり替えアクジのハンニン達による

意識的な

自殺圧力である

絶望圧力である

 

 

 

 

 

2014/11/17 起稿  前進友の会 えばっちより

 

この文章の後半部分は

『生命の底で居直る』とはドウいう事だ

という別題の文章として

のちほど、公表されるものである

 

 

 

 

 

付記

嶋田和子批判の要諦

ハッタツ四悪本の悪

患者を苦しめることにツナガル

「セカンド減薬療法」

「ハッタツ断薬療法」

批判其の肆より

 

邪悪之壱

社会防衛的思考が顕著であり

社会環境要因は無視である

すべては、本人の特性、病状、症状、障害、病気のせいなのであって、学校、会社、家庭、社会のモンダイを免責してしまっている。特性だけが、モンダイなのか。社会の在り方は・・・・だから、キチガイと名指しされ、家族から、親族から、町から、村から、会社から、工場から、学園から、アパートから追い出され迫害され続けてきた者の苦悩が、理解されようハズもない。それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、電気ショック、四肢拘束などの、医療観察法、措置入院などの意識的な無視とあいまって、結局は、保安処分強化につながるであろう。

患者個人の特性や症状の脳や神経せいにするな

学校や会社や工場や教育や社会的要因を無視するな

嶋田和子よライターというのなら、社会的視点を重視せいよアホンダラ。社会的要因無視して、全ては、本人の特性とか症状とかのモンダイか。どういう視点でモノ書いてシモウタか、分かっているのかね。ハツタツ障害概念に偏りすぎて書いたからだよ。笠リロンの宣伝しようとしたからだよ・・・

 

邪悪之弐

陰湿な障害者差別意識と

悪質な蔑視感情が根強くある

だから、健常者社会からもっともモットも激しく非難され差別され続けてきた者こそが、いやーーーな気分を持って、読むことになる。我々キチガイを差別する側が、もう一つ増えるだけの様な気がするのである。すなわち、発達障害者が精神障害者を差別し見下すことである。ハッタツ障害者が精神病患者を虐待し、いい気にナル予感がするのである。

そも、セカンド場面において、母親や、本人が、統合失調症診断に違和感を感じ、ハッタツ障害への診断変更を求めての意識的セカンド相談の場合、そこには、なにがしかの、なにがしかの、なにがしかの統合失調症、精神分裂病、躁鬱病など精神病に対する、忌避感が、差別意識があったのではなかろうか。

皆無だと、言えるのか、どうだろう。

誤診誤処方を言うあまり、

その差別意識はついつい不問にしてきたのではなかろうか。

実は、その点が、セカンドの持つ、足元に開いていたもう一つの大穴だったのである。

もっとも、その発達障害者への健常者社会からの差別虐待をも、

また、助長しているのではあるが。

だから、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、四肢拘束などの、電パチ、スイカ割り、ガン箱退院の意識的な無視とあいまって、結局は、著者の精神病者への差別意識と蔑視感、侮蔑感、忌避感が露呈しているのである。

 

邪悪之参

積極治療主義的傲慢さと

社会復帰的冷酷さに満ちている

クスリをゼロにして、限りなく健常者化することを、目標として、悪辣に煽りに煽っているのである。そこには、どうやっても、減薬がうまくいかなかったり、どうあがいても、社会復帰できそうにもない患者への蔑視と、ゲンジツに減薬を失敗し、何度も何度も、就労と就学に失敗してきた患者への、もっと努力せよと云う傲慢さと冷酷さに、満ち満ちているのである。

内海聡医師の冷酷さと笠陽一郎医師の傲慢さを、両師から受け継いだ、モットも邪悪な暗黒面の弟子と云うことになろう。だから、当然、それは、精神医療の根底的な破壊に繋がるハズもなく、閉鎖病棟や看護士の暴力、保護室、電気ショック、四肢拘束、医療観察法、生活保護などの、意識的な無視とあいまって、結局は、ニホンシミン社会から拍手を持って受け入れられると云う無様なことに、なるのである。

 

 邪悪之肆

当事者への利用主義であり

当事者への了解など無視である

己がライターとして成功することだけが、ライターとして有名になることだけが目的なのであって、あくまで、自分が有名になりたいだけのライターなのだ、しかも、悪辣な、自分がライターとして成功するためなら、なんでも利用し、利用価値がなくなったら、サッサと、捨てていく、そんな、今まで知り合ったライターと云う人種の中での最低最悪辣ライターなのです。今は、笠医師ですが、その前は内海医師だったわけです、今は、くじら会ですが、そして、ハッタツ障害当事者会を立ち上げようとしているんでしようが、自分のライターとしての活動に利用できないとなったら、、、、、そのうち、ワカッテキマスヨ、、、、そのうちね、、、あと、十年もしたら、わかってきますよ。

笠医師も、周りが、チカヅイテクルれんぢゅうが、ソンナンばっかりになりつつあるのを自覚しなきゃ、、、ね。

したがって、もっとも、利用されたのは、当事者であり、利用価値なしとされてサツさと捨てられたのも、また、当事者であり、もっとも、クルシイ当事者を侮蔑し続けて書いたのである。したがって当然、当事者の了解をとって書くなどとと云う、地道な作業は無視したのである。

当事者とは当然、に、この場合、患者本人である。親のことではない。

 

以上死悪の結果、キーサンには、いややややゃゃゃーーーな気分しか残さず、そのかわり、世の中は大拍手である、、、、世の中は、真に現状のシミン社会を否定するかのようなモノは、受け入れるワケがない、ので、とすると、この図書の受け入れられ方は、、、、、いやはや、オメデトウサン

  以上が、笠陽一郎医師が、激烈推薦している図書の本質である。悲惨さを、とうに通り越して、いまやハッタツ音頭の真っ最中でゲンヤク音頭、セカンド音頭、ゴシン音頭をしているうちに、ウカウカ浮かウカウカウッカリ羽化浮かウカウカ憂かウカウカ羽化音頭なのである。

以上

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