『笠陽一郎』とは、ナンなのだ

いったいナニ者なのだ

いったいナンだったのだ

最後の毒語徘徊を読む

(末尾に付録として載せてあります)

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 ところで、まず最初に早期介入の会の呼びかけ人から、笠陽一郎医師の名前が消えている。この事態も、、あまりにも無責任である。誰が考えたって、なんの相談もなく、中心人物の医者が勝手にやめちまって、こんなおかしなハナシ、どこにあるんだ?一体全体、なにをどう考えているのか、もはや、無責任を通り越してむちゃくちゃである。だいたい、縷々、呼びかけ人会同をしようとずっと言い続けているのだが、これも、無視され続け、ついには、中心人物笠陽一郎フリー精神科ドクターが、なんの相談も、報告も、連絡もなく、勝手にやめる始末である。フリーと言ったって、フリー過ぎやせんか、無責任極まりない。

 ちなみに、少なくとも、呼びかけ人全員に、笠医師がやめるという、相談というか報告というか、何かがあってしかるべきだと想うが、如何だろうか。しかも、呼びかけ人が呼びかけて、これだけの賛同を募ったのだから、賛同してくださった賛同人の皆さんに、最低限の説明はしなければならないと想うのだが、如何だろうか。これでは、小学校の学級会運営よりも、ナサケナい事態だと想うがどうだろうか。

 一事が万事、この調子でやっていると、笠理論およびセカンド減薬ハッタツ断薬療法の信頼性は、ますます下がる、どころか、お笑い状態に陥ってシマウと想われる。それで、イイのんか。

おいおい、ナニが、フリー精神科医なんや。無責任精神医では、ないのか。

 

えばっちとしては、ここで、再度、

早期介入の会の呼びかけ人会同と、

書面での公開を前提とした、笠医師との対談を求めるものである。

それしかないと想うが、如何であろうか。

 

そして、シカモである、

笠陽一郎医師のホームページ「毒舌セカンドオピニオン」が、

九月に入り、突然、すべてが抹消された。全て消えた。無責任なことである。

無責任極まりない、

卑怯下劣な所業であると言わざるをえない。

なぜなら、笠医師が自ら書いてきたものを、みずから抹消してしまえば、

批判のしようも、

検証のしようも、

なくなるからである。

あまりにも無責任である。

漏れ伝わってくるところによると、非常に、計画的に、ホームページを閉じたようである。だから、セカンド関係者のうち、何人かは、前もって知らされていたようである。しかし、大多数は知らされなかった。

つまり、それは現実に、減薬に取り組んでいた人たち、過去に取り組んでいた人たちには、ほとんど知らされなかった、と云う、ことである。

関係者のうち、前もって知らされていた人たちと、されなかった人たちの間に、どのような、区別が、あったのだろうか。

 

ここにも、笠陽一郎医師の無責任さと、政治性を感じる。

当人は、とても元気そうに、セカンドを続けているそうである。

某掲示板に、そのように書かれていた。

 

とにもかくにも、非常に計画的に、ホームページを閉鎖したようである。

えばっちとしては、これは、無責任であるとともに、

笠理論、および、セカンド減薬ハッタツ断薬療法への、

批判と反論、検証を封じるためであるとしか想えない。

少なくとも、そういう、結果に、つながるであろうと、想う。

だからつまり、批判と反論、検証を封じたうえで、おのが理論と、これほど過激で性急な療法をセカンドと称して続けるのであれば、それは本当にトンデモナイ話だと想う。

 

どうも、九月一日からホームページを閉鎖するように決めていたようである。

だとしたら、八月三十一日にアップされた最後の独語徘徊は、一日だけ、アップされていたことに為る。ワザトに。そして、消した。

翌九月一日には消した、モノなのである。笠陽一郎医師の、本当の本音が、言い方を変えれば、サイゴッ屁というか、

どうせ、見えているのは一日だけだし、、、、、、、

のように想えば、これは、、笠医師の本音が、余すところなく、書かれていた、と、想われる。

だから、皆さんと共に、笠医師の最後の独語徘徊を、読んでみたいと想う。

さてそこから、何が見えてくるだろうか。

 

まず最初の三分の一は、納得できるものである。首肯する。

本当にヒドイ処方だと想う。

また、笠医師の言う、1)、2)、3)、4)は、うなずけるものである。

キーサンとして、基本線、うなずけるのである。

ただし、ここでもまた、丁寧に、こう、言わなければならないとは、想う。

人に、よるんだ、と。状態に、よるんだと。丁寧に、やってほしい、と。

その上で、の、基本線として、うなずけるので、ある、と。

しかし、

5)については、分からないとしか言いようがない。

コレダケの内容で5)について、ただしいのかどうかなんて、

わかるわけが、ないので、ある。

それを、これだけの内容から、5)についても、

笠医師の言っていることだからと

安易に、了解してしまう、態度は、捨ててしまいたい。

だから、えばっちは、わからないと、言うわけなのである。

それがエバッチの立場である。

 

で、実は、ここからが最も重要なことである。

そして、それは、

「極意シリーズ」全七巻

「批判シリーズ」全六巻

で言い続けてきたことである。何度でも言う。

キーサン患者会的セカンドと云う立場から何度でもいう。

まず、本人の了解を取らなければならない。

本人の意向に沿って進められなければならない。

母親の意向ではない。

本人の意向である。

だからこそ、なのである。

だからこそ、慎重にも慎重に、本人が苦しまないように減薬計画が立てられなければならない。本人の了解と、意向の尊重がなければ、

ゲンヤク拷問である。

何度でも言う。まず本人の了解を取れ。本人の意向に沿え。

本人が、もうしんどい、ここらでやめたい、と言えば、まず、その意向が尊重され、いったん減薬は止まらなければならない。

その上で、まだ減薬を続けたいという専門職側の、そしてまた親側の意向があるのであれば、本人への地道な、地を這うような説得が、まず、行われるべきであって、本人の意向を無視して、しゃにむにクスリゼロを目標に突き進むといった、強制医療そのまんまの強制減薬医療は、捨て去らなければならない。

そのためには、この新しい積極的な過激ともいえる

『セカンド減薬ハッタツ断薬療法』のいいところも悪いところも、

上手くいったところもまずくなったところも、

すべて公開されていなければならないと想う。

病名をドウスルノカも含めて、本人の生き方の問題として、ゲンヤクも本人の意向に沿ったものでなければならない。

だから、本人に、知らせなきゃいけない。

本人に、報せなきゃならないんですよ。

従って、

『股裂きになるから』

『母親の方も本人の方も、せっかくやる気になったのにやる気を削ぐから』

『ぶれさせることになる』

『精神医療改革運動のためにならない、運動の阻害要因になる』

といった理由で、セカンド断薬ハッタツ減薬療法にとって、

笠理論にとって、不都合な真実を隠すべきではない。

不都合な真実を隠し、後ろに廻し、なんとか小さく見せようとし、

そして、敵がいるからといった理由で嘘を言ってしまえば、

そういう態度は、結果、、、、ドウナルカは、、、、、、、、

自らが考えたが良い。

一言でいえば、強制減薬拷問、強制断薬拷問に、ナルゾと云うことである。

また、そのように考えれば、この毒語徘徊を最後に、

ホームページをすべて抹消したという理由が、透けて見えそうである。

少しは、気づいてきた、と云う、ことなのであろう。

 

さらに、もう一つ付け加えるならば、当事者の立場から言えば、これほどヒドイ処方の悪辣医者であっても、本人とそのファースト医が、ある一定程度の信頼関係がある場合、簡単にそのファースト医に対して、関係性を切れと言うことはしてはならないと想う。もちろんこれは、本人とその悪辣ファースト医者との付き合いの長短深浅がさまざまある中で、やはり慎重に本人のための医療なら、慎重に、やるべきことだと想う。これを運動的に破壊してしまうと、後々の本人の意向に基づく減薬が上手くいかないと想う。簡単には切らないでくれ。ということである。セカンド減薬ハッタツ断薬療法が、苦しければ苦しいほど、前の主治医の方がヨカツタ、と云うようなことになってしまい、それをまた、前の悪辣な主治医のマインドコントロールにすぎない、と、ぶった切ってしまう事は、止めた方が良い。

 

えばっちが言いたいことは、本当に、実は、単純なことなのである。

本人の意向に沿ってほしい

本人が、できるだけ苦しまないような減薬をしてほしい

診断名も、生き様も、本人に、決めさせてほしい

まず、本人に、伝えてくれ

本人に分かるように伝えてくれ

そして、本人に、決めさせてくれ

オレ達に、報せてくれ

オレ達に、分かるように、報せてくれ

そして、オレ達に、決めさせてくれ

上手くいかなかった場合のことも考えてほしい

上手くいかない場合も、とても多いことを公表してほしい

良いことばかりではないことが、多いことを、認めるべきだ

クスリゼロだけが目標なのではない

本人が楽になることが目標だ

医療とは、本人が楽に為るためにあるのではないのか

だとしたら

上手くいかなかった者、減薬が苦しかった者、

クスリがゼロにならなかった者

結局は増薬しても減薬しても

あまり楽にならなかった者たちへの

説明責任を果たしてほしい

良くなった者達は良い、それは、良かった、のだ。

でも、でも、である。

問題は、楽にならなかった者たちへの眼差しである

その眼差しの中に、差別と侮蔑と侮辱を感じる、のだ、ひしひし、と。

オレ達の基準は、

クスリがゼロになった者達にあるのではない。

クスリがゼロにならなかった者たちに、あるのだ。

退院できた者達にあるのではない。

退院できなかった者たちに、あるのだ。

資格が取れた者達にあるのではない。

資格が取れなかった者たちに、あるのだ。

結婚できた者達にあるのではない。

結婚できなかった者たちに、あるのだ。

就学できた者達にあるのではない。

就学できなかった者たちに、あるのだ。

就職できた者達にあるのではない。

就職できなかった者たちに、あるのだ。

復学できた者達にあるのではない。

復学できなかった者たちに、あるのだ。

復職できた者達にあるのではない。

復職できなかった者たちに、あるのだ。

社会復帰できた者達にあるのではない。

社会復帰できなかった者たちに、あるのだ。

だから、反社会復帰、を、主張している。

リクツではない、セーカツが、そうだからである。

オレ達の基準は、

クスリがゼロになった者達にあるのではない。

クスリがゼロにならなかった者たちに、あるのだ。

我々、キーサン患者会は、

そのようにしか生きられないし

そのようにしか、生きてこれなかった

今現在も

そのようにしか、生きていない

そういうことなのだ

だから、今後も、

このようにしか、生きられないだろう

我々は

うまくは、いかなかった者たちとともに

うまくは、いかなかった人生を基準に

生きていくのだ

弱い者たち、漏れ落ちた者たちが、基準なのである

 

こういう、ツラいこと、タイヘンなこと、シンドイことを、

シンドイけれども、とてもとても、大事なことを、

担保しながら、丁寧にやっていかなければ、

セカンド実践は運動化し、暗黒面に陥ると想う。

そしてそれは、つきつめれば、

結局は、本人とセカンド医との関係性である。

そして、その関係性は、医者が患者を尊重するということである。

医者が、患者をバカにすることではない。

医者が、患者をコケにすることではない。

まさに、ソコが、次に描かれる。

それでは中盤三分の一である。

 

笠陽一郎よ、笠よ、笠大先生よ

やくざいせいやくざ、とは、どういう意味だ。

 

双極性型のやくざいせいやくざ、とは、どういう意味だ。

双極性型のやくざいせいやくざが患者会を乱立させている、とは、

どういう意味だ。

お前いい加減にせなあかんぞ。

こんなもん、当て擦りでは、もう済まんぞ、おい。

やくざいせいやくざ、ってなあ、

そのやくざいせいやくざ、ってものが、アルとして、

そのやくざいせいやくざ、ってものに

してしまったのは、

お前ら医者じゃないのか。違うのか。

本人のせいなのかそれ。答えてみろ。答えろよ。笠、答えてみろ。

答えんか、笠、答えろーーーーーー笠よ、答えろ、

オマエの様な精神医者と精神病院と製薬会社が

したんじゃないのか。

誰だって、はなっから、精神科のクスリ飲んでたわけじゃ、ナインだぞ

やくざいせいやくざ、とあんたが揶揄する患者さんは、

自分のせいでそうなったのか? 

それとも、製薬資本のせいか? 

それとも、精神病院のせいか? 

それとも、お前のような精神医のせいなのか? 

よく考えてみろ。

それも、考えたうえでの、やくざいせいやくざという、

揶揄の仕方なら、

笠、お前、たいがいにせなあかんぞ。

しかも、患者会を乱立させているということだが、

その乱立されているという患者会を紹介してもらいたいものだ。嘘を言うな。

『すり替える』んじゃない。

えばっちの目から見れば、このところ乱立されているのは、

ハッタツ障害系の、ひとりNPOの、偉くなりたい偉くなりたい、

どんなとこでもいいので講演したい、口演して回りたい、

責任はとりたくないと云うような、

ハッタツひとりNPO団体のようなのが、ネット上で乱立している有様である。

或いは、フリースクールんってな、サロンだの、クラブハウスだの、セルフヘルプグループだの、ピアナントカ、だの、のことか、

おい、こんなものはネットで山のようにあるンダガ、患者会とは、チガウぞ。

笠よ、あんた、それをワザとに双極性型のやくざいせいやくざの患者会乱立と言っているのだとしたら、それは、もう一つ新たな『すり替え』なのではないか。じゃないなら、一度、あんたの言う、その乱立する患者会とやらを紹介してもらいたいものだ。

患者会が、乱立しているって、事実とチガウだろう。

しかもだ、しかも、、双極性型のやくざいせいやくざが、欝転してお陀仏と書かれていたが、おまえ、患者が死んだら、お陀仏で、いいんやな。

お陀仏と揶揄するんだな?

自分に逆ろうた患者が死んだら、

欝転でお陀仏と、

ホームページ上に書いたんだぞ。それでいいんだな? 

九月一日から閉じるつもりだから、もういいやと想って書いたんだろうが、

この言い方は、笠、おまえの言うたこととして、今後、ずっと、残るぞ。

自分に逆らうやくざいせいやくざ患者が、欝転して死んだら、

お陀仏と揶揄するんだな? それでいいんだな?

鬱転してお陀仏だぁぁぁ、笠、オマエ、たいがいにセナアカンぞ

1)、2)、3)、4)が、少しは、意味のあることだけに、かえって、

医師として、

自分に逆ろうてくる患者には意地悪して、コケにして、笑いものにする、

するんだ、ということが、

まるわかりになったんだぞ。

 

そして、最後の

この腐った替え歌には、本当に、腹が立つ。

精神医としても人間としても、こんなことは、最低だ。

えばっちは、この替え歌は、クスリを飲んで、あるいは、

飲みたくはないが飲みながら、そして、もっと言えば、

飲むしかない、飲むしかなかった、

そんな精神病患者に対する悪辣極まりない侮辱と、侮蔑と、差別であると想う。

 

これは、精神病患者に対する、しかも、モデルになっていると想われる具体的な、何人かの患者に対する、精神医からの紛れもない侮辱であると想う。

自分の言うことをきかない患者を、

ココマデ、笑いものにしなければ、ならなかったのであろうか。

自分に逆ろうてくる患者を、

ココマデ、侮辱しなければ気が済まなかった、のだろうか。

自分にモノ申す患者を、

ココマデ、苛め抜かなければ、ならなかったのだろうか。

この点に関し、笠医師は内海医師を、超えてしまったトコロがあると想う。

これだと、ファースト医の毒殺精神医の対応と変わらないじゃないか。

実を言えば、自分に逆らう患者に対して、ここまで笑いものにするというか、

おもしろうなくて、おもしろうなくて、ナントカ意地悪するというか、は、

精神医なるものの宿業みたいなものである。

えばっちは、そういう精神医をたくさん、見てきた。感じてきた。

ヨイショしてもらっているうちは、良いのであるが、一旦自分に逆らう、となると、おもしろくなくて、おもしろくなくて、しようがないのである。

ウラベ医師がそうだった。笠医師もソウナノダ。

 

見えやすいアクジの医者は自分に逆らう患者を意地悪しながら、

虐待して殺す。殺人そのものである。

見えにくいアクジの医者は自分に逆らう患者を意地悪しながら、

笑いものにして、虐待しながら利用して、サイゴは無効化する。

すり替えアクジの医者は自分に逆らう患者を意地悪しながら、

笑いものにして、キチガイの生きざまを、コケにして、

虐待しながら、サイゴに、すり替える。

ナサケナイことである。ヒドイことである。

 

こんな替え歌を最後に、ホームページをすべて抹消してしまった。

早期介入の会の呼びかけ人も、止めてしまった。

笠陽一郎医師、あまりに無責任だ。

書いたものすべてを、抹消し腐るとは、いったい、どういうことだ。

これでは、検証のしようも、批判のしようも、ないではないか。

検証と批判から、逃れるために、抹消したのだとしたら、

コレほど、無責任なことは、無い、と、想う。

セカンド減薬ハッタツ断薬療法を拡めた責任を取るべきだ。

せめて、自分の書いたものは残しておきなさい。

自分が書いて、世に拡めようとしたものは、残しておかんとあかん。

チガウか、笠医師よ。

自分の書いたものをすべて消してシマイ、

都合の悪いことは、無いようにして、

その上で、

非常にクローズドの地下に潜った、まるで秘密会員制のような

セカンド実践を続けているのなら、大問題である。

某掲示板によると、元気で、セカンドを続け、

ているそうである。

もしも、もしも、こんなことをやりツヅケルのだとしたら、

誰も批判できないのだから、

誰も中身を知ることができないのだから、

誰も検証もできないのだから、

それは、そのセカンドは暗黒の人体実験と化すだろう。

「股裂きにに為るから」「ぶれるから」

「やる気を削ぐから」「混乱するから」

「精神医療改革のためにならない」

と、言って

都合の悪いことはすべて消し

他人にも言わせないようにして、批判を、出来ないようにするのなら

たとえ、うまくいった人が出てきたとしても、

誰にも見させない、医療として検証できないものならば、

それは暗黒の人体実験である。

強制減薬拷問である。

笠陽一郎医師が、そこまで、暗黒面におちいっては、いないことを願っている。

 

でもよ、

おれよ、この替え歌読んだとき、笠じゃなくて、笠陽一郎じゃなくて、わっけのわからん他の医者がこんな替え歌の中身を、おれの前で言ってたら、殴ってたかもしれんわ。と想ったわ、ほんま。

 

ここまで患者をバカにしなければ、

精神医と云う専門職は成り立たないのであろうか。

 

自分のホームページだけでなく、人のホームページも閉鎖しろと

抹消しろと、指示を出して、いるというようなハナシまで、伝わってくる有様である。本当のことであろうか。本当だとしたら、酷いことである。

ハナシだけが伝わってきているのなら、笠医師よ、こんなハナシがまことしやかに、飛び回る状況をみれば、早期介入の会の呼びかけ人会同をやらなければならない、と、

笠医師あなたとえばっちで対談でもして、それを公表しなければならん、と云う、危機感が、分からないかね。

そういえば確かに、地上の旅人氏が作った「セカンド・オピニオン掲示板見取り図」というのがあって、それをみれば、クジラ会のママさんたちや、当事者もいたようだが、それぞれが、たくさんのセカンド関連ホームページがあった。

どうもそれらを、情報統制して、再編しようとしているのか、

どうも、地上の旅人氏の見取り図すらも、抹消されているようである。

これだと、本当に、意見も批判もすることが出来ない。

まさに、大本営発表の笠将軍のお気に召すホームページや、

その手のものだけが、再編されて残ることになりそうな気配も、するのである。

なので、周辺部分のいろんなホームページが

今や、たいへん惜しいことであったと想う。

自分のホームページ抹消は、まだしも、

人のホームページまで、も、何とかしようとしているのなら、

そんなことは、やめなさい。

ホームページではなくて、

いまや、本当は、患者会そのものを抹消したいのだろう。

いまや、本当は、キーサン患者会からの発信をナントカ抹消したいのだろう。

 

そのうち我慢できなくなって、何かまた、書きはじめるのだろうが、

そのホームページは、誰が管理し、どんなタイトルになるのか、

今から楽しみである。

さぁぁぁぁてぇぇぇーー誰が、やることになるのかなぁーー

ホームページじゃない、ナニか、ネットに詳しい誰かが、

ナニか、やりはじめるのであろうか、それとも、、、、、、

どちらにしろ、なにか、始めるのなら、

そこで、責任を持つのであるならば、新しい原稿だけではなく、

過去に書いたものもすべて、再掲載して、再公開してもらいたいものである。

それが、新しい治療法を始めた、そしてそれを世間に広めた

精神医としての、最低限の責任であると想う。

 

結局は、運動好きの、政治性たっぷりの、

患者のことなんか考えてない、

患者を運動に動員してしまい、

そしてしかも、

患者からナニか意見されると気分が悪くて悪くて、

仕方のない、

プシ共闘タイプの精神医の、最後の一人、

と云うことだったのだろうと想う。

だから、これまでは、

精神病患者会を、利用し尽くしたわけである。

さて、これからは、誰をどのように利用し尽くすのであろうか。

 

最後に、この歌の、想い出を語りたい。

「お祭りマンボ」という歌に、えばっちは、実に個人的な、想い入れというか、想い出がある。若いころ、ある患者会に、良く遊びに行っていた。泊りがけで、その患者会に交流というか、良く遊びに行ったものである。すると必ず、みんなで、駅前のカラオケボックスに唄いに行ったものである。あのころは、聴覚過敏なんて、毛ほどもなかった。その患者会のなかまたちと、ワイワイ言いながら、多勢で、カラオケに行った。あのころは、みんな唄った。くさんは、いつも、お祭りマンボを唄っていた。必ず、この曲だった。それで、曲の最後の方は、みんなで大合唱になっていった。賑やかな、楽しい、曲だった。くさんに合わせて、みんなで、唄った。くさんは、電気ショックのことを、よく、話していた。面倒見のいい嫌みのない、素晴らしい人だった。その、くさんの、唯一の持ち歌、だったのだ。

その患者会も、食事会がほぼ、毎日あり、当番制だったのだが、えばっちが遊びに行くと、その食事当番が、必ず、くさんになり、必ず地元の丼ぶり物になった。とても懐かしい想い出である。そのくさんも、亡くなって久しい。あの丼ぶりの味と、あの唄の大合唱は、とても懐かしい。その患者会に、もう一度、遊びに行きたいものだと、想う。でも、もう、みんなで、カラオケに行くことは、ないだろうと、想う。あの面々も、故人が多くなった。あの丼ぶりも、もう、食べられないだろう。懐かしく、そして、残念である。一度、また、みんなで、カラオケに行ってみたかったねぇ、くさん。あの丼ぶりを、もう一度食べたかった、なぁー、あれは、おいしかったなぁー。

 

 

以下は、8月31日付の独語徘徊を資料として添付した。

次回は、皆さんと共に、

最後の「毒語臥床」(398)近況;題名変更・・笑えよ~を読んでみたい。

 

 

 

 

2014//8起稿、えばっちより

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毒語徘徊(87)

 

<<人を狂わせる地獄処方>> 

 

 若いお嬢さん・・10代から医療難民のように漂流している。

遂に、千葉で有名な(最も稼いでいる)クリニックに辿り着き、

いきなり、凄い処方を喰らってしまった。

 

 サインバルタ(30) 2錠/

 

 ルボックス(75)  1/

 

 ジプレキサ(10)  1

  パキシル(20)   2

  マイスリー(10)  1

  ベンザリン(10)  2

  デジレル(50)   2/

 

 

 これで、かなりの過食、肥満高血圧、糖尿病、肝障害・・内科薬も増えてしまう。

シロートでも、これがどれだけ酷い処方か、誰でも知っているが、医者は知らない。

 

 1)抗うつ剤SSRIの3剤大量併用

 

 2)ベンゾ眠剤多量

 

 3)抗うつ剤にジプ上乗せの慶応処方(=KO処方)

 

 4)気分調整剤(スタビライザー)無し

 

 5)そもそも、うつ病の要素無し

 キレる、怒る、衝動性、気分変調、幻覚妄想など、あらゆる症状が出現したのは必然のこと。

今度の厚労省からの通達でも、この処方はOKになる。

 つまり、お上の指導など、意味を成さないのだ。

 

 

 医者が知っているのは、うつ病と統合失調症だけ。

つまり、発達障害の二次障害を鑑別できないから、ほとんどが誤診になる。

 薬原病も医原病も、他人のことだと思って、意に介さない。

 

 近年は、双極性障害型が、どんどん増産されている。

薬剤で昂揚した病者ボス(やくざいせいやくざ)が、あちこちで患者会を乱立させている。

 彼らは、大量のごちゃまぜ処方を飲み、酒を飲み、そして、糖尿病治療をしながら、欝転してお陀仏となる。

 

 彼らの主治医は、「新しい薬だから、副作用なんか無いですよ」

「躁うつ病が、増えているの確かである」などと、強弁している。

これでは、精神医療にかかれば、死人が増えるはずである。

 

 後日談:日精診誌に、この医者が「発表」を出していた。

      「サインバルタ&ジプレキサの併用療法が面白い」、のだそうな。

   イーライリリー社の千葉地方への浸透ぶりも、改めて凄まじいものである。

 

      こいつの診察室からは、患者の苦悩が見えないようだ。

      精神科医のスタンダードでは、食って眠れば、寛解になってしまう。

 

 

 

    お薬ナンボ

 

 私のとなりのおじさんは

大洲の生まれで よもだの伊予っ子

 お薬飲むのが大好きで

ねじりはちまき 古着のどてら

雨が降ろうが ヤリが降ろうが

朝から晩まで 欝でも酒飲んで            

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

元気をつけろ 酒一杯おくれ

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

おじさんおじさん大変だ

どこかでサイレン なっている

入院近いよ 躁転だ

何を言っても ワッショイショイ

何を聞いても ワッショイショイ

ワッショイワッショイ

ワッショイワッショイ

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

そのまた隣の おばさんは

松山育ちで ふっくら婦人で

お薬飲むのが 大好きで

大きな素足に ムームードレス

雨が降ろうが ヤリが降ろうが

朝から晩まで ごちそう三昧    

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

 デプロとジプが

リスパとパキシルが

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

おばさんおばさん 大変だ

膵臓インスリン からっぽだ

こっそり高血糖 進んでる

何を言っても ピーヒャララ

何を聞いても テンツクツ

ピーヒャラピーヒャラ

テンツクテンツク

ソーレ ソレソレ お薬だ

 

お薬飲んで 日が経って

つめたい風の 吹く夜は

入院させられた おじさんと

ヘソマワリ太った おばさんの

ほんにせつない ためいきばかり

いくら泣いても かえらない

いくら泣いても あとの薬よ

      

(2014.8.31)

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