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キーサン革命極意真伝

 

 

キーサン患者会とはナニか?

そして・・・・・・そして・・・・・・

そして・・・・・・

早期介入の問題を考える会は

ナニを目指すのか?

 

 

 

 

 

 

 

[第壱章] 

キーサン患者会とはナニか? 

 

キーサンのキーサンによるキーサンのための

精神病患者の精神病患者による精神病患者のための

精神障害者の精神障害者による精神障害者のための

発達障害者の発達障害者による発達障害者のための

精神医療と福祉の被害者の被害者による被害者のための

精神科医の精神病者による精神科相談員のための×

精神科医の精神病者による家族のための×

家族の家族による精神病者のための×

家族の精神医療専門職による精神病者のための×

精神医療職の精神福祉職による精神病者のための×

精神医の家族による精神科福祉業者のための×

 

生活 協同 共済 互助 組合

 (反社会)(反政府) セーカツ共同体 

           (反厚生省)  団体 組織 

        (会員制) (ニクマンSM)  クラブ

 

生活協同共済互助政治団体×協同政治団体×共済マスコミ同好会×

生活協同共済互助運動体×共済互助マスコミ記者クラブ×

    運動集団×請願クラブ×学術グループ×政治同好会×

 

目的   「生き延びる」

(とするところは)         (ことである)

 

要はキーサンがノンビリするトコロですわ

そして

独自の文化をもち独自のセーカツとペースを守り

独自の言語をもち独自のウンドーと対人関係があり

独自の信義則と仁義を守って生きてきました

 

 

 

[第弐章]

 例えば三つのキーサン患者会の凄さ

 そして・・・・・・そして・・・・・

    ・・・・・そして・・・・・・・・・

 

「ごかい」

自立し自尊し自衛するキーサン患者会であることはもちろん、

笠陽一郎という稀有な精神医を育て上げた。

1年365日開け続け、それは、現在も、続く、

こんなことは、できるかぁぁぁーーすごいよ、できん、

30年以上も続けてきたんやから、これを。

そして、ずっと、

病者自身で食事会をやり続けてきた。

300円食堂とキーサン文化とクスリにこだわり

「わしらの街じゃあ」「天上天下病者反撃」は必読本

 

 

「藤枝友の会」

自立し自尊し自衛する患者会であることはもちろん、

中江さんという精神医を育て上げた。一緒にやってきた。

静岡県内の全精神病院を足でまわり、

数字だけでない実質的な匂いを伴った病院訪問調査をやりぬいた。

しかも二巡した。県内全部の精神病院を二巡して、

院長か事務長に会い、病棟を見せて貰い、すごいよ、

足で、全部回ったんだから、二回も、

こんなこと、できるかぁぁぁぁぁーーーぁぁぁぁーーーずげえや。

助け合って生きることに、四肢拘束にこだわり

「ひとりぐらしのうた」は必読本、毎年、一冊ずつだして、

23号かぁぁーーすごいよ、すごい

 

 

「前進友の会」

自立し自尊し自衛するキーサン患者会であることはもちろん、

島田Drという精神医を育て上げてきた。というか、関係を維持し続けている。

やすらぎの里作業所というものを自ら立ち上げ、自らで運営し続けている。

ほんと、ピアとか当事者主体とはいうけれど、やってみなはれ、

実際、ホンとタイヘンですわ。

きれい事ではすまん。

働かない権利、反社会復帰と電気ショックにこだわり

「兄弟だろ」「電パチはあかん」は必読本

 

キーサン患者会は早期介入の会で、

どんな、具体的役割を果たせるのか

ママさん達が俺たちを指さして、薬を飲み続けるとあんなになりますよ、

といったら、それは差別だ。

医療従事者達が、俺たちを指さして、薬を大量に飲み続けると、

あんなになりますよ、といえば、俺たちを見世物にすることになる。

シカモ飲ませ続けたのはアンタらだ。

ハッタツ当事者たちが俺たちを指さして、苦しい減薬に取り組んだから、

あんなにならずにすんだといえば、俺たちを馬鹿にしたことになる。

ママさん達が俺たちを指さして、減薬途上で苦しむ息子や娘たちに、

ここであきらめて精神病院に入院したら、あんなになりますよ、といえば、

それは俺たちをサーカスの見世物にするのと同じだ。

 でもこの言い方は世間に訴えていったり、あるいは早期介入の会のなかや、

くじら会のなかで赤裸々な本質に迫るコトバなのかもしれない。

だからこそ、ここにキーサン患者会が参加する意義があるのだ。

なぜなら俺たちが俺たちのようになるぞ。だから薬を飲むな、

精神病院に入院するな、カウンセラーにかかるな、精神医を信用するな、

といえば、俺たち自身が腹を括ってそういえば、

それは差別でも見世物でもない。

俺たちのハッタツ当事者やママさんたち医療従事者たち精神医たち、学

校従業員たち、世間様に対する、こころからの警告の叫びに、なるのだ。

ここにキーサン患者会が早期介入の会、くじら会の、

皆さんと一緒にやることの意義があると想うのだ。

 

 

そして・・・・・・そして・・・・・・・

・・・・・・・そして・・・・・・・

 

究極の勝利は、キーサンカンジャ会にとっては究極の敗北を意味する。

したがって、究極の勝利に導くその地平を、

真摯に真面目に検証しなければならない。

なぜなら、それは、

単なるキーサンカンジャ会の存立基盤を巡る

悪あがきに過ぎないのか、

それとも、究極の勝利に導くその地平には、

ナンラかの瑕疵があるのかどうかを巡る、

真面目な検証であるのかの、

わかれめだからである。

 

その検証は、早期介入の会という場において、最終的には、

ゲンジツのセカンドセーカツの実践において、おこなわれる。

その地平が、真であるならば、キーサンカンジャ会は、

その役割を終え、滅んでいく。もちろん、なかまたちが、

みんなその人生を全うしぬくまで患者会のセーカツは

つづくのではあるけれども・・・・・・

 

滅び行くモノこそが、この地平の真偽をあきらかにすることができる。

そして滅んでいくモノは、歴史を改竄されてしまう可能性があるので、

滅んでいくモノ自身が、改竄させずに歴史を遺し、遺さなければならない。

会報や手紙や、FAXのなかに本や、メールや、映画や、ビデオのなかに、

はなしのなかや、想い出のなかに、生きざまのなかにそのための、

一冊に、今度の本は、なると、想う。

タイトルは「キーサン革命宣言」である。

 

そして、キーサンカンジャ会は、その役割を終えて、退場することになる。

究極的勝利は、究極的敗北をもたらす。

甘い甘い、スバラシい、滅んでいく、

役割を終えて退場していくモノ達に、

スバラシい敗北をもたらすのだ・・・・

精神科医療の完全なる敗北という、我々の完全な勝利とともに。

病者集団や全精連などというアホンダラどもには、こ

れの片鱗すらおがめないであろうよ・・・・哀れなヤツラだ。

 

 

その地平に立って眺めるためには、同じ事をやらなければならない。

同じ課程を、同じ条件を、同じ道程を、同じクルシミを歴なければならない。

すくなくとも、試してはみなければならないそんなことができるだろうか。

アタマで理解するだけでは、だめである。

その地平で、観えてくるモノを本当に、観るためには。。。。

同じ事をやらなあかん。

リクツだけで、「精神病は存在しない」と、いくら、

言ってみたところで、その地平は診得ては来ない。哀れなヤツラだ

。リクツだけそんなことを言っている精神医達は・・・・

 

だから、その地平を観たものは、

その地平を表現するコトバをかえたほうがいいのかもしれない。

いまや、そのコトバは手垢にまみれてしまい、逆用されているゲンジツが、

あるのだから。。。。

 

だから、その究極の勝利のためには、我々は、喜んで、

退場しようではないか。

そのためにも、早期介入の会でくじら会でセーカツに根ざした、

その地平の瑕疵の検証がいる。その検証の中で、

はじめて、何人かが、この地平を観ることが、

眺めわたすことになるだろう。

 

誰かが、言わなければならない

「笠陽一郎を鍛えたのはキーサンカンジャ会である」というこの原則は、

ここ八、九年のゲンジツから、間違っていると・・・・・・・・

真の原則は、ハッタツ当事者がこう言うところから、はじまる。

「笠陽一郎を鍛えたのは、キーサン患者会のセーカツのうえにたって、

セカンド実践におけるハッタツ当事者である」と。

そして、ハッタツ当事者達のママさん達は、この原則は、

ここ八、九年のゲンジツから、間違っていると・・・・こう言わなければならない。

「笠陽一郎を鍛えたのは、キーサン患者会のセーカツのうえにたって、

セカンド実践におけるハッタツ当事者と、ママさん達である」と。

だから、我々は、それを検証し、この地平が真であるか偽であるか、

検証しなければならない。真であるならば、我々は、滅んでいこう。

 

だから、我々は、ここに、ハッタツ当事者達とママさん達と、交流を求めに来た。

実際のセーカツとウンドーを共にしながら、、、、

実際の役割を分担して、セーカツとウンドーをして、

その地平を観んがために・・・ はたして、我々は、

その地平を観ることができるであろうか。

観ることができうれば、

我々は、究極の勝利と、

究極の敗北を、手に入れることができるのだ。

この地平を観ることができるものは、限られるだろう・・・

血と汗と涙を流し続けたキーサン医者とゴキブリ従事者と今も、

血と汗と涙と反吐を流しツヅケテイルハッタツ当事者達、

ママさん達、

そしてキーサンカンジャ会のみなのだから。

キレイゴトを言い続け血と汗と涙と反吐を流しツヅけてこなかったものには、

その片鱗もおがめないであろう。

 

 さぁ、では、いっしょに、やろうではないか、みなさん。

 

我々の前途は絶望的で、希望に満ちあふれたものになろう。

逆かな

我々の前途は、希望に満ち、そして、絶望的である。

 

 

  

[第参章]

早期介入の問題を考える会は

ナニを目指すのか?

 

再度この三か条を基に

 

目標

各地主体的に実際の早期介入のモデル校実施の糾弾と監視を追及

基盤

セーカツの場を大切にし維持し続けることの再確認

各々の家庭、患者会、相談室、診察室、くじら会、作業所、たまり場

是非とも必要

事務局機能の強化の追及 

強く意見を言った者は、それこそ、強く主体的に事務局機能をになうべき えばっち自身はそう決意表明する

 

は求心力と遠心力の両方が働く

は遠心力が働きは求心力が働く

求心力と遠心力の両方が、はたらくことさもないと、バランスを崩す

遠心力と求心力

 

独自の一点共闘運動的連合体を交流体を

目指す。ゆるやかな。。。。

 

バランスがだいじ。一点共闘だから・・・・・連合体だから・・・・・交流体だから・・・・連合体、、、、ナンとナンの連合なのかをみよ

歴史的経緯を見よ

セカンド実践からくる青版系のみなさんと

キーサンカンジャ会

ゲンジツの呼びかけ人をみよ賛同人をみよ

ドコとどこが連合するのが

クジラ会とゴキブリ医療従事者の会とキーサンカンジャ会

交流体の本質をみよ ダレとダレが交流するのか

ハッタツ当事者達と、ママさん達と、医療従事者達と、

キーサン当事者達

 

 

 

********による****のための

当事者のママさん達による被害者のための

精神医療と福祉の被害者の被害者による被害者のための

精神科医の精神病者による精神科相談員のための×

精神科医の精神病者による家族のための×

家族の家族による家族のための×

家族の精神医療専門職による精神病者のための×

精神医療職の精神福祉職による精神病者のための×

精神医の家族による精神科福祉業者のための×

 

独自の一点共闘運動的連合体

           ゆるやかな交流体

独自自主団体  共闘団体

 各地連合体   庶民運動体

独自の事務局と会計を持つ

 

(反社会)(反政府)(反厚生省) 組織   

      (会員制) (ニクマンSM) クラブ

 

  政治団体 × マスコミ同好会×

 マスコミ記者クラブ×

  請願クラブ× 学術グループ×   政治同好会×

 

 

 

目的     「早期介入に反対する」

(とするところは)      (ことである)

 

要は**********するトコロですわ

 

 

 

あとがきにかえて

 

この本は、誰でもが読んで、愉しいモノではない。

この本は、誰にでも、読んでもらいたいモノでもない。

この本は、ただの記録として遺そうとしたものではない。

次のセーカツとウンドーにつなげるために、

途中経過、中間まとめとして、出版されるモノである。

 

次のセーカツとウンドーの主体であろう、早期介入の会と、クジラ会の、

すべての当事者達とママさん達に捧げる。

現在、そして、これから、血反吐を吐く想いで減薬に取り組む

全ての精神医療の被害者達とママさん達に捧げる。

 

この地平をきりひらいた、一人のキーサン精神医に捧げる。

その精神医を鍛え上げたキーサン患者会に捧げる。

 

この本を、一緒に闘ってきた

そしてこれからも闘い続けセーカツし続ける

全ての

キーサンなかま達

キーサントモダチ

そして、キーサン患者会に捧げる。

 

この本を、過去、現在、そして、これからも、未来に渡って、

精神医療と福祉に

虐待され、コロサれ続けていくだろう、全ての被害者に捧げる。

 

だから、我々は、このコロシを止めなければならない。

 

十年後に、この本の続編が、書けたら、幸せである。

この本に収録できなかった、「むすぶ」に書いてくださったみなさんに、

お詫びを申し上げる。

編集の塩見さんにムリ言って、

この後に、むすぶ目録を、付録にしてもらう予定である。

ご容赦を願いたい。

ページ数と値段の関係で、どうしても、ダメだった。残念である。

 

そうそう、私が言っていた例の「三冊目のセカンド本」は、遠からず出版される。

ある著者によって、ある種、別のカタチで、出版されるハズである。

出版されれば、誰でもが、ナットクである。

その本は、「セカンド本」と、この「キーサン革命宣言」とともに、

三位一体を為す、であろう。

その本は、誰にでも、できるだけ多くのみなさんに読んで頂きたい、と、想う。

 

 

キーサン革命の鬼えばっち 江端一起

脱稿 2012年9月11日

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